私の2018年。高齢妊娠、高齢出産、NICU/GCU通い、そして子育ての一年を振り返る

   

今年も一年が終わろうとしています。

毎年毎年、今年もいろいろあった……なんて感慨にふけるわけですが、私にとって2018年は今までの人生で一番大きな出来事と変化があった年になりました。

それはもちろん、娘ヨーちゃんの誕生です
この出来事が私の「2018年すべて」と言っても過言ではありません。

2018年最後の記事では、高齢での妊娠、そして切迫早産、NICU/GCU通い、初めての育児を、改めて簡単に振り返ってみたいと思います。


高齢妊娠

昨年、シンガポールから本帰国した後に赤ちゃんを授かることができました。

詳しいことはいつかまとめて書きたいと思いますが、年齢が年齢だけに、妊娠は「もし、できたら幸せ」くらいに考えていました。そのため妊娠検査薬の結果には半信半疑で、夫も報告しても気に留めてくれないような状況でした(お笑い番組を見ていて、大笑いしていた……)。

妊娠初期には出血があり、お医者さんには「今回は難しいかもしれない」と言われました。やはり年齢を考えたら仕方ないかと思ったのですが、その後状態が安定したときは、嬉しくて病院帰りに自然と涙が出てきたのを覚えています。

妊娠継続が分かった日

妊娠継続が分かった日

母子手帳を受け取ったときはまだ気持ちがふわふわとしていたのですが、出産予定の病院に通い始めた時には妊婦としての自覚が芽生えてきました。

つわりは3か月以上続き、辛い日々を過ごしましたが、胎動を感じた時はとてもおだやかな幸福感包まれました。


高齢出産

妊娠生活は概ね順調でした。私自身の体が何か検査にひっかかることはありませんでした。

ただ、中期のスクリーニングで赤ちゃんが小さめであることがわかり、経過を慎重に診ていただくことになりました。

大きい病院だったため、妊娠中期から出産前までの妊婦検診は、提携病院で受診をすることになっていました。しかし、赤ちゃんに懸念があったため、引き続き同じ病院で経過を見ていただくことに。

エコー検査

エコー検査

そのため、通常の妊婦健診より多くエコーによる診察を受けていました。また、小児科の先生に胎児の心エコーも診ていただいています。

しかし、いくつかの赤ちゃんの心配される状態について説明を受けていたものの、ヨーちゃんは小さいながらも成長が止まることはなかったので、問題ないかもしれないという状況でした。

そんなある日、突然迎えたのが切迫早産でした。
お腹の張り、微量の出血……。

詳細はすでに過去に記事にした通りです。

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初めての、そして最初で最後になるかもしれない私の出産は、このように思いがけない形になりました。


NICU/GCU通い

ヨーちゃんは超低出生体重児として生まれ、出生後約3か月NICU/GCUに入院しました。

うつぶせヨーちゃん

うつぶせヨーちゃん

赤ちゃんがNICUに入院した親御さんで、泣いたり怒ったりする方々がいるそうですが、私は気持ちが昂ることは一度もありませんでした。現実をとらえきれていなかったのだと思います。特に出産直後は頭のねじが一つ抜けたような状態で、ぼんやり世界を外から眺めているようでした。

出産直後に子どもが入院するという事態について、まったく不勉強だった私は、病院の指示にただただ必死に従う日々でした。3時間ごとに搾乳し、それを病院に届ける。できるお世話をさせてもらう。特に最初の一か月は黙々とその作業に専念していました。

しかし、そのおかげで母子の愛着形成がうまくいったと感じていますし、何よりも一日で大きな変化を見せる新生児の成長を、しっかりと見られたことが幸せでした。

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2018年の夏は、ほぼこの通院で過ごしました。今年は猛暑と呼ばれる日が多く、大変暑い夏でしたが、私の思い出は病院の風景、音、優しい先生やスタッフの方たちとの会話、そして日々保育器の中で力強い成長を見せてくれたヨーちゃんのかわいらしい姿です。


子育てと通院の日々

96日間の入院を経て、ヨーちゃんは退院しました。

体は小さめでしたし、甲状腺機能低下症、貧血、くる病など、いくつかの症状は残っていましたが、大きな懸念はなく退院することができました。

退院から3週間、母子は実家でお世話になりました。3か月間昼間だけしか会っていなかった娘と一緒に寝るのは、想像以上に幸せな時間でした。

そして、暑さが和らぎ始めた頃、3人での生活が始まりました。

3週間、実家で家事を休ませてもらっている間に育児のペースを掴むことができ、そして必要なものを買い足すこともできたので、とてもスムーズに新しい生活を迎えることができました。また、夫が育児の協力的なので、現在もストレスをためることなく過ごせています。

お父さんはヨーちゃん笑わせ上手

お父さんはヨーちゃん笑わせ上手

退院後の通院は、シナジスの注射もあるため、ほぼ月一回通っています。

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恐らく、シナジスが終わる来春には通院ペースも減ってくると思われます。

日々の子育ては、とても平凡で、そしてそれが幸せなことだと感じています。平凡がゆえに、ブログが病院ネタ中心になりがちですが、これから徐々に普通の子育て日記になるのではと思っています。

まとめ

高齢で子どもを授かり、そして切迫早産という形で出産し、娘ヨーちゃんは超低出生体重児として生まれました。NICU/GCUに3か月入院した後に無事退院し、そして現在は育児を楽しみながら頑張っています。

それが私の「2018年すべて」です。

会う人会う人に、今でもNICU/GCU通いを「大変だったね」「頑張ったね」と声をかけていただくのですが、不思議とすでに遠い思い出になりつつあります。

起きたことは実際、辛いこと、大変なことだったのだけれど、ヨーちゃんは順調に成長しているし、今感じている幸せがすべてを覆い返しているかのようです。

退院後、赤ちゃんがNICUに入院中のお母さんとお話しする機会があり、少し前の自分を思い出しました。子どもを思う気持ちは子どもに対するものだけでなく、自分自身に返ってくるものでもあると私は感じたので、その気づきを大切にすることはその後の育児にも大切だと思います。

最後は、NICU/GCU退院直前に描いたイラストを掲載して今年一年を締めたいと思います。入院中の赤ちゃんも、退院した赤ちゃんも、みんな頑張れ! という気持ちで描いた絵です。

歌詞「さようなら」作詞・作曲:倉品正二

歌詞「さようなら」作詞・作曲:倉品正二

年明けからは、子育ての模様に加え、妊娠の経緯および経過をぼちぼちつづっていけたらと思っています。
では、皆さま、どうぞよいお年をお迎えください!

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