「卒乳」の思い出 ~1歳10か月(修正1歳7か月)

   

1年以上前になりますが、ヨーちゃんが「卒乳」したときのお話です。

振り返ると、授乳って本当に特別な体験だったなと思います。人によって感じ方は違うと思いますが、間違いなく、私にとってはいい意味で忘れがたい、幸せな思い出になりました。

母乳苦労話

私は、過去の記事に書いてきたように、母乳には苦労しました。

「出ない」から始まり、直母は「飲まない」になり、直母が軌道に乗り始めたころは「痛い」で、苦労の連続でした。

直母苦労話はよく聞く話ではありますが、私なりに思い悩んだり、あれこれ情報を集めて試してみたりする日々が、入院時期を含め3-4か月は続いたと思います。

ただ、私にとって幸運だったのは、地元でいい助産師の先生に出会えたことでした。

産科だけでなく、新生児科の勤務経験もあり、ヨーちゃんのような超低出生体重児だけでなく、そのお母さんのこともよく知っている先生です。自らも2児の母であり、おっぱいの施術はもちろん、育児の相談から心のケアまで、とてもお世話になりました。

幸せな授乳期

軌道に乗り始めてからの授乳期は本当に幸せな期間でした。搾乳からの苦労が吹っ飛ぶくらいの幸福感。

私は母乳が少なかったのもあって母乳vsミルクの議論には関心が低かったのですが、自分の幸福感の視点からだけだと、混合でも母乳続けてよかったと思えた時期でした。

おっばいを吸う赤ちゃんがかわいいと思うのは、本能なのでしょうか。毎日毎日、オキシトシンに溺れながら、入院中の看護師さんたちや、助産院の先生への感謝の念が絶えませんでした。

1歳(修正9か月)で保育園に入り、少し前から離乳食が順調だったこともあり、そのころから授乳の頻度が必然的に落ちてきたように思います。

さらに、仕事を始めてからは朝晩の2回だけになりました。朝起きがけに1回、夜はお風呂上がりに1回。

もともと、寝る前の授乳や添い乳のような入眠の儀式に授乳をする習慣は少なかったので、夜中におっぱいをせがむということはこの時期は皆無だったと思います。

授乳回数の調整は助産院の先生に相談しながらすすめていました。あまりに授乳が幸せだったので、仕事を始めたタイミングでやめる決心がつかず、2歳頃までを目処に、頻度を減らしながらも授乳を続けようとしていました。

突然やってきた「卒乳」

授乳の終了を、親主導でやめた場合を「断乳」と言い、子どもが自然に離れることを「卒乳」と言ったりするようですが、ヨーちゃんはまさに「卒乳」でした。

思い返せば、授乳期終盤は、あまりおっぱいに積極的ではありませんでした。朝やお風呂上りに私に促され、ややけだるそうに飲んでいました。

そんなある週末の夜、突然まったくくわえてくれなくなったのです。過去にも似たようなことが数度あったので、その時もまたか、くらいにしか思いませんでした。

しかし、翌朝も飲まず、その夜も飲まず、その次も……。

「あぁ、その日が来てしまったのか」と思いました。

断乳自体はすでに考えていました。助産院で、断乳のスケジュールを組んでもらっていました。子どもの気持ちを卒業に向かわせるガイドもいただいていたのですが、うちは子どもから離れてしまったので、悲しくも不要な内容になってしまいました。

2,3日様子を見ていましたが、一向に飲む気配がないので、急いで助産院の先生に連絡をしました。もともと乳汁量が減っていたとは言え、何もせず放置するのが怖かったからです。

先生は急なお願いにもかかわらず、その週の土曜日に調整をいただき、断乳の施術を受けました。その時だけでは終わらず、恐らくあと2回来てもらうと言われました。

そして2週間後に2回目の断乳の施術。

通院はいつも子連れでしたが、コロナが騒がれ始めた頃から私一人で通っていたので、助産院のベッドで一人、人生で最初で最後の授乳期を終えました。

1歳10か月(修正1歳7か月)で卒乳となりました。

助産院の卒業

最後の母乳マッサージを終え、先生にお礼を伝えたものの、その日は気持ちに区切りが付きませんでした。

そのため、後日短時間だけ、改めて母子で先生にご挨拶にうかがいました。

先生には産後約1ヶ月後、娘がNICUに入院中からお世話になっていました。産後だけでなく、早産だったことによる心理的な辛さを和らげていただき、さらに幸せな授乳期を与えてくださったこと。

入院中はもちろん、退院後の子育て生活にもたくさんのアドバイスや、保育園などの地域の情報も教えていただくなど、たくさんお世話になりました。

私はこの先生に出会えたおかげで、本当に幸せな子育てを始められたと思ってます。

そういった思いをしたためた手紙をお渡しし、記念に娘と一緒の写真を撮っていただきました。先生が大好きな娘は、ニッコニコで写っていました。

先生は、またいつでも遊びに来てね、と言ってくださいましたが、その後、コロナの感染拡大。とてもとても助産院に遊びに行ける状況ではなくなり、現在に至ります。

世情が落ち着いたら、必ずまたご挨拶にうかがいたいです。そして、先生のおかげもあって、元気に大きくなった娘の姿を見ていただきたいと思っています。

まとめとその後

「卒乳」の思い出 ~1歳10か月(修正1歳7か月)
母乳の苦労と幸せな思い出

授乳は3−4ヶ月ほど苦労しました。「出ない」から始まり、「飲まない」「痛い」と3−4か月は試行錯誤していました。

そのような状況でも入院中は病院の看護師さん、同時に地元では助産院の先生に支えられながら、幸せな授乳期を迎えました。

娘が1歳(修正9か月)で保育園に入った頃から、離乳食や仕事の影響もあって頻度が減り、やがて朝晩2回だけに。

2歳に向けて断乳を考えていましたが、それより前の1歳10か月(修正1歳7か月)に、自然と卒乳となりました。

ちなみに卒乳後は、フォローアップミルクを2歳過ぎまで続けていました。私が身長の伸び悩みを気にしていたのと、ヨーちゃんもミルクの味が好きだったようで、積極的に飲んでいたためです。

ただ、フォローアップの先生からも保育園の先生からももうやめてよいのでは、という話があり、2歳半頃にミルクも卒業。最近は牛乳が大好きで、毎日ぐびぐび飲んでいます。

先日、どこかに紛れていた母乳パッドが出てきて、授乳を懐かしく思い出しました。授乳用のブラジャーはすべて処分しましたし、前開きではない服も着られるようになりました。

痛みにひーひー言いながら、乳頭保護器を検討したり、メデラのクリームを塗っていた時期が懐かしいです。

この幸せ、一生忘れないだろうな。お世話になった皆さん、そして娘、ありがとう。

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