早産でNICU/GCU通い中、言われて嫌だったこと
もし身近な人が切迫早産になり、低出生体重児の子どもがNICUに入院していたら、どのような言葉をかけてよいか悩む人もいるかと思います。
今日は私が言われて嫌だったことを書きたいと思います。
どういった言葉がどう響くのかは、まったくもって人それぞれかと思います。赤ちゃんの状態、お母さんのその時の精神状態によっても変わってくると思います。
ですので、本記事はアドバイスではなく、ただ私の当時の気持ちを書いたものです。愚痴っぽいですし、今頃書くべきなのか迷いましたが、あえて自分の気持ちを正直に書き残しておこうと思います。
「かわいそう」と言わないで。でも「小さい」と言われるのはそれほど嫌じゃない
「切迫早産体験:私と娘の傷病名・症状・状態」の記事に書きましたが、「かわいそう」と言われるのは自分が責められているみたいで辛かったです。
この言葉、身近な人から何度か言われただけでなく、医療関係者にも二度言われました。もちろん、お世話になった産科や新生児科の先生やスタッフではありません。どちらもやや年配の医師だったのですが、医師としてそう感じるのかを聞いてみたかったです。
赤ちゃんを思ってそういう言葉が漏れたのかもしれませんが、母親は好き好んで早産で産んだわけじゃありません。肉体的にも精神的にも傷ついているのに、追い打ちをかけられるかのようでした。
一方で、「小さい」と言われるのはそれほど嫌ではありませんでした。低出生体重児に対してNGワードのように思う人もいるかもしれませんが、私は小さい、という事実を真正面から受け止めており、言われたところで「その通り」としか思わなかったのでした。
ただ、それは小さいながらも体重増加が順調だったおかげもあるので、もし体重が増えていない状態でそれを言われたら辛かったかもしれません。
本当に嫌だったのは、満期出産と比べられること
NICU/GCU通いは、振り返ってみると大変でした。
肉体的・精神的なダメージを受けた状態で土日祝日もなかったし、夜間・早朝の搾乳で常に睡眠不足だったので、めまいや立ち眩みもありました。GCUに移ってからは病院にいる時間が長くなったため、疲れで蕁麻疹が出てきました。
ただ、私はNICU/GCU通いをしている間、体力的な辛さはありましたが、行きたくないとか、嫌だとか思った記憶はありません。無理して通ったつもりもなく、むしろ行かない日の虚しさや危機感が酷かったです。
そんな時期を終え、退院した時、唯一私の父が「ヨーちゃんも頑張ったが、お前も頑張ったよな」と言ったのには驚いて少し嬉しかったのと同時に、やっぱり大変だったんだ! と思いました。
そんなNICU/GCU通いで苦労をしている間、かけられた言葉で特に「はて?」と思ったのが以下の言葉でした。
「赤ちゃんがあなたに時間をくれたのよ」
というものと
「搾乳より家での授乳の方が大変よ」
というものです。
どちらも悪意を込めた発言ではなかったと理解していますが、いい気持ちがしない言葉でした。
違和感があった理由を整理しました。
まず、「赤ちゃんがあなたに時間をくれたのよ」という発言の意味ですが、赤ちゃんが入院していることで親(のあなた)が世話をしなくてすみ、その分の時間が与えられたのよ、ということです。
NICU時代はお世話らしいお世話は何もしなかった(できなかった)ので、移動時間含め面会にまつわる時間は1日6時間程度でした。加えて搾乳の時間がありますが、本来なら、家庭での新生児の育児は24時間です。それに比べたら時間がずっとあるのよ、という意味でした。
しかし、早産だったのに、NICU入院時期と満期出産後を比べている点に疑問を感じました。
同じことを感じたのがもう一つの「搾乳より家での授乳の方が大変よ」というコメントです。
深夜・早朝含めた3時間毎の搾乳が大変、という話をしたら、家で新生児に授乳する方がもっと大変だと諭されたのです。
どちらも一瞬、「そうなのかな」と思ったのですが、考えてみたら私がNICU/GCUに通っていたのは妊娠後期の時期にあたり、本来ならまだ妊婦のはずでした。
なので、通院時期と妊娠後期を比べての話なら納得できたのですが、満期出産後との比較になるのは変な感じがいたしました。
早産は、赤ちゃんの状態にもよりますが、大体予定日+一か月前後で退院することが多いようです。つまり、早産でNICU/GCUに通っていた親の子育ては、その退院後から始まるわけですし、3歳くらいまでは予定日を起点とした修正で成長を見ることになります。3か月のヨーちゃんは、修正でまだ0か月なのです。
0か月育児をしなかったわけではなく、それは退院後に始まるだけ。すっ飛ばしたのは0か月育児ではなく、妊娠後期ということです。
私自身、大変だった! ということを主張して自分を認めてほしいというわけではありません。ただ、NICU/GCUへの通院は、満期出産の子育てに比べれば大変じゃないのよ、と言われてしまうは腑に落ちません。
早産だったことで満期出産より楽だと思った唯一の点は、子育てが始まる時点で母体の回復が済んでいることでした。出産後の身体的に辛い状態でする新生児のお世話は、本当に大変だろうと思います。その点は納得できます。
しかし、生まれた赤ちゃんへの影響、母親が受けた精神的なダメージを考えたら、やはり早産が楽をしているということはないし、NICU/GCU通いは大変だったと言いたくなってしまいます。
ちなみに、母子分離の搾乳と、赤ちゃんへの授乳(直母)の比較ですが、確かに授乳は実際にやっていると大変だなと思います。ですが、赤ちゃんがそばにいない状態で機械で絞るだけの搾乳は、やはり精神的に辛いものでした。
相手のことを考えて言葉を選べばいい
搾乳と授乳の比較は、自分の子育ての苦労を愚痴りたかったようでした。相手の話をしているときに、自分の話を被せてしまう会話というのはよくある風景です。その結果の言葉だったのかもしれませんが、状況的にあまりいい気がしませんでしたし、上記のように病院通いも大変なのに……と私は思ってしまいました。
どんなことでも相手が辛い状況にあるとき、言葉を選ぶのは簡単なことではないと思います。私自身、私より辛い経験をしたお母さんに、なんと言葉をかけていいのかわからないことがありました。
ただ、相手が言葉を選んでいる、というのはなんとなくでも伝わる気がしています。なので、どんな言葉でも、相手のことを真剣に思ってかけた言葉であれば、相手にはその思いやりの気持ちも一緒に伝わると思います。
すみません、言い過ぎたでしょうか。いろんな考え方があるかと思いますが、私が感じたことについて率直に書いてみました。
※おまけ
先日、授乳後の娘が自分のゲップの大きさに驚いていて、その様子がおかしかったです。赤ちゃんあるあるなんでしょうか?