映画「エンディングノート」
映画「エンディングノート」を見てきました。
…どツボの作品でした。最初から最後まで、笑いながらしくしく、ひっくひっくと泣かされ、終わってからも帰りの電車や学校で思い出し泣きまでさせられました。まいった。いい作品に出会ってしまった…と思える幸せよ。
これは、監督である砂田麻美さんが自分の父親の最期までを撮ったドキュメンタリー映画です。手術ができない状態の癌が見つかってから、やがて最期を迎えるまでの約半年間に撮られた映像に加え、それまでもともと撮りためられていた家族の映像を編集したものです。
タイトルの「エンディングノート」というのは、フランクな遺書のようなもので、葬式の段取りや財産についての整理など、自分の死後について家族に宛てて残す覚書きのこと。作品は、主人公の砂田知昭さんがこのノートとともにTo Doを片付けていく展開になっています。
個人的な印象では、この「エンディングノート」というのは作品全体の雑多な映像をまとめる骨組みのようなものであり、これ自体がすごく重要な位置づけだとは感じませんでした。言い方を変えると、この骨組みを「家族という壮大な何か」が大きく包んでおり、それ全体がこの作品なのだと。そしてそれらは画面からはみだしまくっていて、観客席までを包み込むかのようでした。
扱われている題材は非常に繊細だし、正直私も最初筋だけを聞いたとき、あまり苦しかったり悲しかったりするものを見るのは嫌だなと思ってました。ただ、プロデューサーが是枝裕和であり、監督も是枝作品に関わってきた人であることから、単に湿っぽいだけの作品ではないという期待がありました。そしてその期待は裏切られることはなかったです。
音楽も、映像も、そして主人公も、決して暗くないし、むしろ明るかったり笑いがあったり。でもいたずらにおちゃらけたりはせず、大事なものをすごく大事にしているのが最初から最後まで伝わってきます。だからこそ、起きていることは悲しいことなのかもしれないけれど、心が冷めたり、悲しみで傷ついたりすることは決してありませんでした。
90分の作品なのですが、すこし冗長な印象もありました。しかし、砂田監督自身にとってはどんなシーンも愛おしいに違いないでしょう。それが伝わってきたからこそ、長いと感じつつもどのシーンも一緒に大事に見たつもりです。
ちなみに心に迫ってきたシーンは、孫たちとの病室での再会、最期が近づいてきた時の夫婦の会話です。小さな孫たちが、大好きなじいじの死にゆく姿をあの年で見たのはつらい経験だったと思います。しかし、彼女たちの人生でとても大切なひと時だったろうと思います。病室での奥様のセリフも身に迫ってきました。それに応えるかのようなご主人が奥さんに残したメッセージも心に残りました。あと、長男の段取り力には舌を巻きました…。
今日は初日で、しかも初回上映を見たので、砂田監督と是枝プロデューサーの舞台挨拶を聞くこともできました。もともとこの作品は映画にするために撮られたわけではなく、お父様の死後、その喪失感の中で砂田監督がまとめた映像を、客観的な意見を求めて是枝裕和さんに見せたことが映画作品として世間に出るきっかけができたようです。
是枝プロデューサーには、長男が自分の娘に自分が卒業した小学校を見せる短いシーンが印象に残ったそうです。このシーンに、家族の再生、つながりを見たというのはさすがというか…この指摘にまた泣けてしまったり。
商業的な話はさておき、最初はこんな個人的なものを見てしまっていいのかという思いがあったのですが、今は見せてくれてありがというという気持ちです。家族というものの愛おしさを感じることができたからです。今日、この作品を見た人たちは、同じ温かい気持ちをもって帰ることができたのではと思っています。
さて、思うにこの作品は、砂田監督がこの家族の一員であること、小さいころから家族を撮影していて、家族がそれに慣れていたからこそ撮れた作品であることは間違いないです。なので、フィクションで同じようなものが撮れるかと言われれば、それは未知数でしょう。
でも、絵の撮り方とか、編集とか、音楽の雰囲気とか、軽妙なセリフのやり取りとか、間違いなく私は好きです。なので今後の作品もとても楽しみな監督です。
※舞台挨拶の模様。光量不足でぼけぼけですが、それでちょうどいいのかも…。