本帰国前に行っておこう:発掘されたイギリス軍の地下司令室「バトル・ボックス(The Battle Box)」

   

シンガポール在住中に行っておいてよかったと思ったり、本帰国前に駆け込みで行った場所について紹介シリーズです。最終回は「バトル・ボックス(The Battle Box)」です。

パンフレット

パンフレット

最終回が戦争関連じゃなくてもよかったのになぁと思いつつ、帰国の2日前という本当に直前に滑り込みで行ったので、順番的に最後になってしまいました。

以前から興味があったし、もっと早くに行っていてもおかしくなかったのですが、夫リサが戦争系の施設が苦手でして、行こうと言っても付き合ってくれなかったのです。それが「もう最後だから」とお願いしたらようやく最後の最後に付き合ってくれました。

気持ち的に慌ただしい訪問になりましたが、行ってよかったと思えた施設だったので、ご紹介します。

バトル・ボックスがあるフォート・カニング・パークの歴史

バトル・ボックスは、シンガポールの中心部、フォート・カニング・パーク内にある戦争記念施設です。バトル・ボックスの説明の前に、このフォート・カニング・パークについて少しご紹介します。

フォート・カニング・パークに行く途中の有名な撮影スポットの階段(写真を撮ってる人がたくさんいました)

フォート・カニング・パークに行く途中の有名な撮影スポットの階段(写真を撮ってる人がたくさんいました)

この公園は、中心部にありながら広い面積を有する貴重な緑地です。標高約60mの小高い丘で、近くを通ると、豊かな緑を見上げるような道が続きます。住人の憩いの場としてだけでなく、イベントなども盛んに行われているシンガポールの国立公園の一つです。

フォートカニング駅(目の前がフォートカニング・パーク)

フォートカニング駅(目の前がフォートカニング・パーク)

このフォート・カニング・パークの歴史をざっと振り返るとこんな感じらしいです。出典はNLBの以下のサイトです。

Fort Canning Park
http://eresources.nlb.gov.sg/infopedia/articles/SIP_8_2004-12-10.html

1822年まではブキット・ララガン(「禁じられた丘」の意)として知られ、古代の王が埋葬されたと考えられていました。そんなこの丘の上に、この地を植民地としたイギリス人トーマス・ラッフルズと姉の家族のための住居が建てられ、その家が後にGovernment Houseという名称に改名されました。

さらに政府庁舎が完成すると、この地はGovernment HillまたはSingapore Hillと呼ばれるように。一方で、一時期は時の政治家Sir Samuel George BonhamにちなんでBukit Tuan Bonham (Sir Bonham's Hill) とか、Bukit Bendera (Flag Hill)とも呼ばれました。

そのほか、1819~1865年にヨーロッパ人が埋葬されたり、植物園があったりもしました。

それが1859年、Government Houseは取り壊され、砦が作られることに。400人もの中国人苦力(クーリー)が動員され、1861年に砦が完成。 インドの総督Viscount Charles John Canning(1856~1862)にちなんで「フォート・カニング」と呼ばれるようになりました。

さらに砲台、病院などが設置されましたが、完成時にパール・ヒルの砦の方が高さがあったために、1907年に撤去されてしまい、国防に使われることはなくなってしまいました。

その後戦争を経たのちの1972年には公園として機能しており、1981年11月1日に首相リー・クワン・ユーによって果樹植えられ、フォート・カニング・パークに改名され、現在に至ります。

……以上なんですが、戦時中の細かい歴史の説明はすっぽり抜けています。バトル・ボックスの公式サイトには以下の記述がありました。

1926 - Malaya Command headquarters
With the construction of more forts along the southern coastline of Singapore, Fort Canning becomes redundant and is demolished in 1926. The British immediately replace it with new command headquarters and barracks. The headquarters are for Malaya Command, the army coordinating the defence of British Malaya and Singapore.

他のエリアにも砦ができたことで、1926年にフォート・カニングは砦としての役割を終え、イギリス軍が司令室を置いたとのことです(後述しますが、この建物は現在ホテルになっています)。ラッフルズによるイギリスの植民地支配の始まりから、ここは政治的な利用をされてきた場所であることはわかると思います。

なお、余談ですが、このフォート・カニング・パークはシンガポールのオカルトスポットの一つと聞いたことがあります。墓地として使われていたからでしょうか……。


バトル・ボックスの歴史

さて、続いてはバトル・ボックスについての説明です。出典はまたNLBのサイトを参考にいたしました。

Fort Canning Bunker (Battlebox)
http://eresources.nlb.gov.sg/infopedia/articles/SIP_858_2004-12-15.html

「バトル・ボックス」というのは現在の通称のようで、ここはフォート・カニング地下壕、マラヤ・コマンドセンターという場所でした。マラヤというのは当時のシンガポール含めたマレー半島エリアのことで、コマンドセンターは司令室。つまり、当時のマレーシアにおけるイギリス軍の軍事作戦を指揮していた場所です。

前述のように、1926年にすでに司令部が置かれていたのですが、戦争が進んできたためにイギリス軍は地下壕の建築を決定。1936年から1941年に建設されました。地下9mに20室以上の部屋には、暗号室、信号制御室、プロット室、銃操作室、発電などがありました。

1942年2月11日、日本軍の侵攻に備えて軍本部はシメイからこの地下壕に移されます。しかし、1942年2月15日にイギリス軍は日本軍へ降伏。それを決めたのもこの場所でした。※

日本軍に降伏する前日、イギリス軍は地下壕を一部屋を除いて取り払い、残された物は焼いてしまい、1988年2月23日までこの場所は放置されました。(なお、Wiki(The Battle Box)にはイギリス軍降伏後、この地下壕を日本軍が通信などで使用したという記述があります。)

1988年に発掘され、内部が整備された後、「バトル・ボックス」という戦争記念館としてオープンしました。

※イギリス軍が降伏文書に署名したのはここではなく、ブキティマの旧フォード工場です。バトル・ボックスと旧フォード工場は歴史の流れとして繋がる場所なので、両方行くのがお勧めです。
→「「Former Ford Factory(旧フォード工場)」→「Surviving the Japanese Occupation(日本の占領を生き延びる)」に行ってきました

バトル・ボックス・ツアーに参加

ご興味はわきましたでしょうか? このバトル・ボックス、見学にはツアーへの参加が必要です。料金や開催日など、最新の情報は公式サイトを参照ください。

The Battle Box
http://www.battlebox.com.sg

アクセスも上記サイトで詳しく説明がありますが、ドビー・ゴート駅から行くのがわかりやすいです。ダウンタウン線フォート・カニング駅もありますが、公園の反対側に位置していてどう行っていいのか分からず、私たちもドビー・ゴートから行きました。

バトル・ボックスの道順

バトル・ボックスの道順

また、バトル・ボックスおよびビジターセンターは丘の上でして、たどり着く前に急な階段があり、結構息が切れます。登り切ってぜーぜー言ってたら、ベンチに座ってたお年寄りたちが褒めてくれました(笑)。どうやら近くまで道路があるので、上までタクシーでも行けるみたいです。足腰に自信がない方々はお車でどうぞ……。

ツアーへの参加申し込みはビジターセンターで行います。申し込みと支払いを済ませた後、時間になったら再度このビジターセンターに集合し、ここでの説明からツアーが開始します。参加者はイギリス人が圧倒的に多く、その他アメリカ人、ドイツ人など欧米系の方が中心。アジア人はフィリピンの夫婦がいましたが、日本人は私たちだけでした。

この記事を執筆している時点でツアーは2種類あり、バトル・ボックス見学のみのもの(18ドル)と、フォート・カニング・ヒルの案内もセットになったもの(32ドル)があるようです。私たちが参加したのは前者でして、ビジターセンター→ホテル・フォート・カニング→バトル・ボックスの3か所を回りました。

なお、私の英語ヒアリングがかなり怪しいのに加え、バトル・ボックス内は写真撮影はおろかツアーはメモを取るのも禁止です。以下の内容はネットの情報を使いつつもあいまいな点があることご容赦ください。

まず、ビジターセンターで簡単なツアーの概要を聞いた後、バトル・ボックス入口手前の斜面で再び解説が入ります。ここはちょうどホテル・フォート・カニングという5つ星ホテルが見える場所です。

元軍事施設であるホテル・フォート・カニング

元軍事施設であるホテル・フォート・カニング

クラシカルな見た目が素敵なホテルですが、ホテルとしての開業は2010年。もともとは1926年にイギリス極東軍総司令部(the Administration Building of the British Far East Command HQ)として作られた建物でした。戦中、戦後は日本軍、再びイギリス軍、シンガポール軍、そして民間企業など、歴史とともに様々な所有者を経てきたようです。(参考:Wiki「Hotel Fort Canning」)

そしていよいよ地下9mのバトル・ボックスの中に入ります。恐らく使用されていた当時は緑で覆い、わかりづらくしていたと思われます。また、入口はここだけではなく、室内には別の出口に出るはしごもありました。

緑の中にひっそりあるバトル・ボックス入口

緑の中にひっそりあるバトル・ボックス入口

中は外に比べるとややひんやりとしています。空調・照明が整っているので見学に際しての不快感はありません。しかし、使用されていた当時は現在ほどの設備があったとは思えませんし、戦況の悪化に伴い人がどんどん増え、環境が悪くなっていったそうなので、この中での生活は本当に大変だったろうと思います。

内部には、当時のさまざまな機器や家具が設置され、さらに(結構リアルな)蝋人形がその場の雰囲気を再現しています。前述の通り、日本軍への降伏の前に、イギリス軍は内部の設備を取り払ったり、焼き払ったりしています。シンガポールはこの施設の整備に相当なお金をかけたようですが、実際よくできており、臨場感がありました。(参考:Fall of Singapore retold at WWII bunker at Battlebox museum

途中、ガイドがクイズを挟みます。面白かったのは「太平洋戦争の始まりをご存知ですか?」という質問。アメリカ人のツアー参加者がすかさず「パール・ハーバー!(真珠湾攻撃)」と答えましたが、これはアメリカの立場からの回答であり、シンガポールにおいては真珠湾攻撃の2時間前、日本陸軍によるマレー半島奇襲が太平洋戦争の始まりと捉えられているそうです(Wiki:マレー作戦)。

ツアーの構成もよかったです。迷路のような内部をあちこちまわりながらも、説明はきちんと時系列、ストーリーになっていました。ざっくり書くとこんな感じです。

  1. バトル・ボックスの設備概要
  2. 戦況の悪化(日本軍の侵攻)
  3. 日本軍への降伏を検討
  4. 日本軍への降伏
  5. 日本軍の占領→ミッドウェー海戦→日本軍戦況悪化→原爆投下→日本敗戦

イギリス軍の基地なので、ほぼイギリス軍目線での話です。そして日本軍への降伏以降、バトル・ボックス自体は日本の占領下におかれたため、最後の日本の敗戦までの話は展示された写真を説明するだけの補足のような感じになりました。

この日本軍への降伏は“Worst disaster and largest capitulation in British military history(「英国軍の歴史上最悪の惨事であり、最大の降伏」by チャーチル)”と呼ばれるような出来事であり、とにかくイギリス軍がどんどん日本軍に追い詰められていく様子が伝わってきました。

これは大半のイギリス人ツアー参加者にとっても、日本人である私たちにとっても息が詰まる展開であり、一体どういうリアクションをしてよいのか悩ましかったです。

そして、ミッドウェー海戦の話はアメリカ人や(日本に占領された)フィリピンの人にとって胸のすく展開だったかもしれませんが、最後の原爆投下の写真は日本人として、大変悲しくて複雑な気持ちになりました。

しかし、恐らく、どういう立場であっても、事実を知るということの大切さを強く感じました。

バトル・ボックス内部の見学が終わった後は、再びビジターセンターに戻ってきます。そこでガイドによる最後のクイズがあり、締めの挨拶があって解散となりました。このビジターセンターには戦争関連のややマニアックなグッズが売っているので、ツアー後に関心がわいたら書籍などを見てみるのもよさそうです。

ビジターセンターで売ってるグッズ

ビジターセンターで売ってるグッズ

なお、戦中は29部屋あったそうですが、恐らくツアーで全部の部屋は見てないと思います。近年発見された部屋もあるらしく、まだまだ発掘・整備が続いているようです。

バトル・ボックス見学はこんな人にお勧め

バトル・ボックス、シンガポールの戦争記念施設として、旧フォード工場とはまた違った良さがある場所でした。前者が割と説明的な場所であったのに比べ、バトル・ボックスは体験型に近い場所だったと思います。

そういった点で、生々しくはあるものの、分かりやすい施設ではあったので、シンガポールで何かを学んでおきたい、戦争について知っておきたい、と思っている方にはお勧めです。私自身、かなり勉強不足な状態での参加でしたが、シンガポールでの戦争についてぼんやりとしか持っていなかったイメージが、かなり鮮明になったと思います。文字面では分からないような、身に迫る感じは、実際にここを訪問しないと分からないと思います。イギリス軍視点でこの戦争を見るのも新鮮でした。

また、小さなお子様には少し怖いんじゃないかと思いますが、歴史についてある程度学んだ年齢のお子様にはとても勉強になる場所ではとも思います。(なお、子ども料金が7~12歳の設定なので、7歳未満はそもそも入場できないかもしれません。)個人的には修学旅行生なんかにはぜひ寄ってほしい場所だなと思いました。

パンフレット(イギリス軍降伏の写真)

パンフレット(イギリス軍降伏の写真)

さて、シンガポール「本帰国前に行っておこう」シリーズはこの後、まとめ記事を書いておしまいにいたします。

その他のシンガポールネタは、帰国準備から帰国までについてあと何本か書きたいと思っています。もう帰国してから3か月弱になりますが(失笑)、もう少しだけお付き合いいただけたら嬉しいです。

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