切迫早産体験:出産後の入院生活(1)
切迫早産で出産するまでを書きましたが、その後の私の入院生活についても書き残しておきたいと思います。
私の入院は8日間(7泊8日)でした。当初、7日間もしくは8日間、という案内だったのですが、恐らく治療の都合で8日になったのだと思います。(点滴が予定より一日長かったので。)
手術当日(入院0日目):ぐったり
手術の後、ベッドに移ってベッドごと病室に運び込まれました。
前の記事の最後に書いたように、4人部屋を選びました。このお部屋、母子同室ができないお母さんが集められていました。それぞれ置かれている状況が異なるので、話しかけづらかったです。全員NICUで見かけましたが、入院中誰とも話すことはありませんでした。
病室に入った後ですが、入院の準備をしていなかったので、パジャマはレンタルしました。産褥ショーツはこの病院で支給されるグッズに入っていたものをはかせてもらったようです。胸はノーブラ。スリッパも使い捨ての物を病院から購入。何も持っていない自分が笑える状況でした。着替えや化粧品などは、徐々に夫に運んでもらいました。
そして、帝王切開はみんなそうなのですが、全身管だらけです。鼻から酸素、手には点滴、腕には血圧のカフ、下腹部は尿管カテーテル、足は静脈血栓予防のフットポンプ。
尿管カテーテルは人生初体験で、入れるときの感覚は衝撃(痛いとも違う違和感)だったのですが、一度付けたらトイレに行かなくて済むのが楽でした。まだ歩くのに痛みがあるとき、外されるのが惜しかったくらいです(笑)。
また、フットポンプは定期的に足全体に圧力をかけてくれるものだったのですが、気持ちがいいくらいでした。
辛かったのは点滴です。しばらく起き上がることはなかったにしろ、点滴のせいでベッドの上で姿勢を変えるのが難しく、腰とか背中などが痛かったです。
いずれにしても心身ともにボロボロでして、ぐったりしてベッドに沈んでいました。そんな状態の時、遠方に住む夫の両親が面会にやってきたのです。
実は緊急入院が決まった前の晩、夫が両方の両親に連絡をしたところ、心配した義両親がすぐに駆けつけたいと言ってくれたのでした。正直なところ、手術直後は辛いので翌日にしてほしく、その旨伝えたものの、すでに新幹線のチケットを手配済みだったのでした。
一応ベッドの上で上半身は起こして待っていましたが、管だらけのぐったりした私を見たら、いつもは明るく元気な義両親も顔を曇らせ、一言二言だけもらして退室していきました……。
そして夜も、非常に辛い時間を過ごしました。前の晩から喉の渇きで頭がおかしくなりそうでしたが、まだ飲食禁止だったのです。
ただ、うがいはOKだったので、寝た状態で看護師さん(助産師さん)に水を口に含ませてもらい、容器に吐く、というのを何度もさせてもらいました。手術当日は頻繁に見に来てもらえるので、そのたびに嫌な顔をせず、対応してくれたスタッフの方々には本当に感謝しました。
入院1日目:帝王切開の痛みとおっぱい
翌朝、痛み止めの座薬を入れてもらいました。痛み止めは点滴から入っていて、自分で量の調整も可能だったのですが、そちらはできるだけ使わないようにしました。
朝から水は飲んでOKになり、本当に苦しかったおとといの夜からの水断ちはここで卒業です。また、尿管カテーテルもはずされました。
そして、この日から始まったのが「おっぱい」との戦いです。
母乳については、検診を受けていた前病院で母乳育児クラスを受講予定でしたが、出席前に出産になったため、まったく勉強不足でした。
母乳分泌に必要なホルモン、プロラクチンは出産時がピークだそうで、その後は授乳しないと減ってしまい、ほうっておけば母乳は出なくなってしまうとのこと。
言わずもがな、私はヨーちゃんに直接おっぱいを飲ませることができないので、搾乳による母乳分泌をさせなくてはなりません。
母乳は今でも少なくて苦労しているのですが、出産後はまず「出ない」ことが大変でした。乳管開通までに時間がかかったのです。この病院は母乳育児を強く推奨している「おっぱい病院」だったこともあり、この後、退院まで助産師さんによるおっぱい指導が続くことになりました。
お昼から食事が出るようになりました。ただし、初回は回復食で、重湯、だし汁、小さなゼリーだけのランチ。お腹が空いているというより、何かを口に入れたい欲求が満たされない辛さがありました。
お昼過ぎには、術後、初めてのトイレに挑戦です。助産師さんが付き添ってくれました。
まー、これがツラいのなんのって。
そもそもベッドから起き上がり、ベッドから降りて、歩いてトイレに行く……ということだけでも大ごとです。加えて排泄も非常に痛みを伴うものでした。切った子宮の近くの臓器が動くことで、何とも言えない気持ちの悪い下腹部の痛みがあります。
帝王切開は術後が辛いと聞いていましたが、みんなよく頑張っていると思います……。
昼下がり、昨晩近くのホテルに泊まった義両親と、私の母が面会に訪れました。
母は、姉から託された入院グッズ(産褥ショーツ、ナプキン、圧着ソックスなど)と買ってきた靴下を差し入れてくれました。
この時点で私はすでに、そこそこ回復し始めており、母は早々に帰宅したのですが、義両親とはラウンジまで移動して話すことができました。
さらに、術後初めて夫に付き添ってもらい、NICUのヨーちゃんに会いに行きました。
前日、夫が撮った動画を通して、どんな姿でどんな顔なのか、認識していました。しかし、私が行ったとき、黄疸が出ていたために保育器の中でブルーライトに照らされており、様子が違いました。ライトから目を保護するために頭全体にガーゼのようなものが巻かれており、ちょっと痛々しく見えて直視できなかったのを覚えています。
長らくお世話になる新生児科の主治医の先生には、この時初めてご挨拶しました。手術室でヨーちゃんの蘇生をしてもらっているのですが、私は覚えていませんでした。慈愛に満ちた優しい笑顔の先生です。
この日はヨーちゃんを少し眺めただけで、写真も撮りませんでした。
保育器の中の小さな私の赤ちゃん、ヨーちゃん。
まだ私にとってフワフワした存在でした。
→「切迫早産体験:出産後の入院生活(2)」に続く。