家計で大事なのは「目的の共有」だと実感した出来事
昨年末、シンガポールで貯蓄目的の生命保険に入りました。
シンガポール在住予定がそれほど長くないわが家は、保険料を一括払いしました。その際判明したのがシンガポールでの夫リサの貯蓄額です。
私は家計をリサに預けているといいますか、生活費を差し引いたリサの貯蓄について関知していません。リサが隠しているわけではなく、私はリサのお金の使い方に全幅の信頼を置いているので、気にしていないのです。
それが今回、保険料を決める段になって、お金を保険にいくら預けていくら残すという話になり、リサがシンガポールに来て約1年でどれくらいお金を貯めていたかがわかりました。その額が、やはりというか、本当に個人ではほとんどお金を使ってないことがわかり、安心しました。
こうなると、わが家での家計の懸念事項は「私」です。頻繁に日本に一時帰国するし、時々外食に連れてけと騒ぎます。おまけに子どももいないのに仕事はパートに甘んじており、収入は日本にいた時よりずっと減りました。
私個人としては日本での生活に比べて衣料品をほとんど買わなくなったし、田舎暮らしで中心部に出るのがしんどいし、友だちがいないので外でお金を使う機会も格段に減って贅沢してないつもりです。しかし、リサの徹底した倹約家ぶりを見ていると、この夫婦間では私がまるですごい「浪費家」になります。
家計共にしていく以上、埋めておくべき差がありそうです。ではそれを修正するにはどうすればいいか。
リサがもっと財布のひもを緩めて私に歩み寄る、という考えもありますし、実際そういう瞬間もなくはありません(旅行や外食に連れて行ってくれる等)。しかし、気持ちの根っこの方で私はどこかリサに賛同していて、もっとお金の使い方を考えるようにしたいとも思っています。
そんな時、私はふと湧いた素朴な疑問をリサにぶつけました。「お金を貯めるのはなぜ?」と。
リサの答えは、2つ。
- お金を使う理由がない
- 65歳までは働きたくない
1つ目は目的ではなく、リサのお金と行動に対する考え方のようです。適切な理由のない(リーズナブルではない)消費には意味を見いだせないから行わない、という考え方です。見方を変えると「ケチ」に見えますが、「お金が惜しい」わけじゃないんですよね。
あと、物を買うときはよく調べてから買うので、時間も頭も使っているようです。そして衝動買いは滅多にみません。
2つ目は目的。実はこれは結婚前にも聞いていました。以前は漠然と「アーリーリタイアしたい」と言ってたのですが、恐らくサラリーマン生活の現実的な見通しで「65歳までは避けたい」という言い方になったようです。
先月、日本では高齢者の定義を70歳にする提言がなされ、私たちの世代の年金受給開始年齢が70歳になる布石なんじゃないかと思った人も多いと思います。
もし仮にそうなるとして、私たちが60歳にリタイアするとしたら、人よりも10年早くリタイアすることになります。生活スタイルも健康状態も人それぞれですから、他人と比較するのは適切ではありませんが、それは結構勇気がいる選択だなと思いました。
そして、必要なのは勇気だけではなくもちろん、お金が必要です……。
私はこの「65歳までは働きたくない」と聞いた時、心の奥で共鳴するものがあり、少しリサの気持ちに近づけたような気がしました。
お金の価値観や消費行動をすぐにリサのように変えるのは難しいですが、「65歳前にはリタイアしよう」という二人の目的を持ったことが、私の今後の貯蓄・購買行動に多少なりとも影響を与えそうです。
家を買うとか、子どもを大学まで出すとか、そういったお金に関する家族の目的を明確に持って頑張っている人たちは多くいると思いますが、私たち夫婦にもようやくそれを1つ共有しました。
もっと早くに聞けばよかったです。そして行動を変えるべきなのは「私」なので、リサの背中を見つつ、努力したいと思いました。