「Facebook鬱」
今日はもともと家にいる予定ではあったのですが、一日雨だったのでほぼひきこもりになりました。夕方クリーニングしたスーツを取りに行ったときは面倒だったなぁ。濡れちゃいけないし。
さて、取り立ててネタもない一日だったので、最近気になってる「Facebook鬱」の話について少し書きます。ググった感じだとこの言葉が出てきたのはここ一年くらいのようですが、Facebookでともだちの「リア充」ぶりを見て滅入ってしまうことです。以前、テレビで海外でも同様のことが起きてると聞きました。
私自身、Facebookは毎日見てはいるものの、投稿はブログほどまめじゃないし、ともだちの投稿も全部目を通しているわけではありません。でも、この「Facebook鬱」を感じた時期がありました。自分の人生が実際どんなんであれ、「自分が欲しいもの」を持っている人たちが素直に羨ましいのです。何かうまくいかないタイミングだったりすると羨ましさをこえて辛くもなりました。
そんな私がそれほど深刻にならなくなったのは、そんなともだちと実際に会って話したから。…話していると気づくんです。そんな「リア充」に見えたともだち達もFacebookでは見えない努力や苦労をしていることを。それを知ったら自分も頑張ろうと思ったし、当たり前ですけどFacebookで見えるその人たちの姿は一面的だということがわかりました。
私がもっとFacebookにはまっていたり、ともだちとの関係をFacebookに頼っていたら、「Facebook鬱」悪化した可能性があったと思います。やはりともだちって会って話して、遊んだりしてともだちなんだなと思いました。
ちなみに、私のFacebookの投稿を見て私を羨ましがったり、「Facebook鬱」になる人はいないんじゃないかと思っています。それは実際リア充じゃないからということもありますが(笑)、私はネタを上げることはあっても、あんまり成功体験とか、人生の充実した側面とかそいういう話をFacebookにあげないんですよね。かといって周囲を心配させるネガティブな話も載せないようにしています。