被害者、加害者
京都の亀岡の事件、警察が加害者の親に被害者の連絡先を教えたことがニュースになってました。警察の署長が被害者の家族の前で頭を下げてるシーンがあって、憤った被害者の家族が涙ながらに問題を追及して。
なんか、いろんな人の立場に立って考えるといたたまれなくなりました。警察がやったことは許されないことで、管理者である署長が被害者に謝罪するのは当然と思いますが、一方でそこに管理職の背負っているものが見えました。そして被害者ご本人、被害者のご家族の気持ちは想像を絶するもので、コメントのしようもありません。ただ、そこには被害者に直接電話をした加害者の親の必死さも垣間見え、それも想像すると辛くなりました。
突然大事な人を理不尽な形で失ったら、悲しみとか、怒りとか、そういう気持ちをどう扱えばいいのでしょうか。一方で、罪を償うにはどうしたらいいのでしょうか。
…考え出したら眠れなくなりそうです。
レベルが違いすぎる話ですが、私たちは日常のささいなことでも、他人に何か「悪いと思うこと」をしたとき、それをどう償うかについて考えて行動しています。その結果がその人の人柄であり、誠意があると言われたり、感じが悪いと言われたりする。
結局、問題が深かったり大きかったりするほど、人の本質がむき出しなるんだろうと想像します。私は自分のスケールがちっちゃすぎて、そういうことを想像するだけで気持ちがいっぱいになるのです。