地震、私が見たものまとめ

   

東北地方太平洋沖地震ですが、昨日、職場で仕事中にあいました。あまりの揺れの大きさと長さにさすがに怖くなり、職場の人と蒼くなりながら退路のための入口のドアを押さえてました。

館内放送は外に出るな、と言ってるのですが、窓の外を見るとぞくぞく近くの公園に避難する人が集まっている人が見えて、ビルから出た方がいいのかどうか判断に迷いました。結局外には出ませんでしたが、別のフロアの人は3分の1くらいの人がその公園に避難したと後から聞きました。

古いビルなので揺れている最中、ぎしぎしと非常に嫌な音がした上、壁や柱にはヒビが入りました。また、非常階段の壁が落ちたり、天井がはがれたフロアもあったそうです。女性上司のご主人は、勤務先の新宿のガラス張りのビルのガラスが大破したそうです。

家族が心配でしたが、携帯も固定電話もつながらず。部屋にテレビはないので最新の情報はTwitterが頼り。

余震は続いたものの、だいぶ収まってきたところで帰宅していいとの指示が会社からありました。しかし都内の電車はすべてストップ。かろうじてタクシーやバスが動いてるとの情報がありましたが、歩いて帰るしかないだろうとすぐに判断できました。また、距離的に歩いて帰れるだろうという自信があったのも確かです。地図をプリントして会社を出ました。



ネットで調べたところ、徒歩での帰宅は推定2時間くらい。しかし公衆電話の列に並んだり、マックで夕食を調達するために並んだりした時間も含めて2時間で着いたので、実際かかった時間は1時間半くらいだったと思います。体力的にも問題ない距離で、近くに住んでいてよかったなと思いました。(横浜などはとても歩いて帰れる距離ではなく、会社に泊まった人もだいぶいたそうです。)

帰り道は大通りにも関わらず歩道が狭いため、だいぶ混雑してましたが、私が歩いた時間は前に進むのが困難というほどでもなかったです。帰宅してから一部の電車の再開がニュースになってましたが、あまりの混雑でまた止まったりしてたみたいなので、結果的には歩いて正解でした。ちなみに公衆電話を使うため立ち寄った駅では、通路にブルーシートが敷かれていて、電車の再開を待つ人たちが座り込んでいました。

幸い家族は無事でした。臆病者の父親の精神状態が心配でしたが、そちらも大丈夫でした。私の部屋は帽子が落ちたくらいで何の被害もなく、家全体では茶碗がいくつか割れたくらいだそうです。

昨晩の時点で電力供給不足がTwitterで叫ばれてたので、早々にお風呂に入って電気消してベッドに。ただTVだけはつけていたところ、早朝に起きた長野の地震の時はまた目が覚めました。別の震源地…。本当に怖い…。

そして今日ですが、朝から自分の予定と人に会う予定があったのですが、どちらもキャンセルして家にいることにしました。節電のためできるだけ家族一緒の部屋で過ごし、厚着して暖房も点けませんでした。

食糧が少し心配だったのでスーパーに行ったりしましたが、特に混乱はなかったようです。(コンビニから惣菜やパンは消えてましたが…。)

15時過ぎ、また余震だなんだと騒いでたところ、上司から電話が。職員の安否確認に関することで出社してほしい仕事があるとのことでした。果たして出社してまでやるべき仕事なのか疑問でしたが、よくよく考えると東北や北関東にも事務所があるし、出張中の人もいるだろうとのことで急にいろんなことが心配になって指示通りに出社しました。

作業中、ビルの館内放送で電力供給不足のため強制的に電気を落とすとの連絡があり、本当に慌てて作業しました。もっと早く判断して呼んでくれれば慌てなかったのに…。とにかく1時間くらいで使命を果たし、風のごとく帰ってきました。また電車が止まったらたまらん。。

そして夜はヤシマ作戦実行中です。このブログ書いたらPCも落として、電気も消して、またTVとスマホだけで夜を過ごします。

被害にあわれた皆様には、本当に心よりお見舞い申し上げます。今は私は粛々と節電に努めますが、落ち着いたら義援金などでお手伝いできることをします。

また、行方不明の方や救助を求めている方など、一人でも多くの方のご無事をお祈りしています。

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