GCU通いの一日とGCUについて(2)

   

GCU通いの一日とGCUについて(1)」の続きです。

GCUについてと、娘ヨーちゃんがNICUからGCUに移るまでについて書きましたが、GCUについてもう少し自身の視点を加え、詳しく書いてみたいと思います。

GCU通いの一日のスケジュール

GCUは前述のとおり、ケアの主体が看護師さんから母親に変わります。やることが増えて、それに伴い滞在時間も長くなります。ただ、そうは言っても病院なので、親が来なければ看護師さんがそのケアを行うまでです。それをやれるか、やれないか(やりたいか、やりたくないか)は親次第でした。

私はNICU時代、できることが限られているのが切なかったため、GCUでヨーちゃんのお世話ができるのはとても嬉しかったです。しかも看護師さんのサポートがあるので、育児についていろいろ教えてもらえる貴重な時間になりました。

なので、土日含め毎日ほぼデイタイムはGCUで過ごしていました。

そんな私のGCU通いの一日は以下のようなものでした。

~GCU通いの一日~
02:00 搾乳(1)
05:00 起床→搾乳(2)→家事→朝食
08:00 搾乳(3)→家事(洗濯、掃除)
09:00 病院へ移動
10:00 沐浴
11:00 直母→ボトル授乳→搾乳(4)
13:00 昼食
14:00 直母→ボトル授乳→搾乳(5)
16:00 帰宅→買い物
17:00 搾乳(6)→家事→夕食
20:00 搾乳(7)→入浴→家事
22:00 自由時間
23:00 搾乳(8)→入眠

滞在時間はだいたい10~16時でした。行きも帰りも通勤ラッシュの時間を避けていました。

ケア内容は主におっぱい関連(直母、ボトル授乳、搾乳)で、加えて沐浴、あやす、おむつ替え、先生とのお話などです。

このおっぱいがなかなか大変でした。体重が2kgを超えたところで直母の練習が始まったのですが、うちは退院までうまくいきませんでした。

直母はうまくいきませんでした

直母はうまくいきませんでした

30分以上授乳室でヨーちゃんと格闘し、諦めてコットに戻ってボトル(病院が調乳してくれた冷凍母乳もしくは粉ミルク)を飲ませ、寝かしつけたらまた授乳室に戻って搾乳をすることになるのです。

この一連の作業に、なんだかんだ1時間半から2時間くらいかかりました。直母がうまくいっていたらボトルも搾乳も不要なので、直母がうまくいかないがための労力ですが……。

まぁ、これは退院後の今も続いていることなので、その練習を病院でできたのはやはり良かったと思います。

直母がうまくいっているお母さんは、余った時間でわが子との触れ合いを楽しんでいる様子でした。


GCUって、もっと言うとこんな場所だったと思う

さて、GCUがどんな場所かについてここまで書いてきましたが、もう少し主観的な視点で思ったことを書いてみたいと思います。

私見といいますか、私が個人的に感じたことであって、同じように捉えている人がいるかどうかはわかりません。ご了承ください。

赤ちゃん差別がみえてしまうGCU

NICU時代は気づかなかったのですが、新生児病棟内で特にかわいがられている赤ちゃんたちがいる、ということに気づきました。

言い方が悪いですが、赤ちゃん差別みたいなものが見えてしまったのです。やはり、入院が長い赤ちゃんが比較的かわいがられている印象でした。

ヨーちゃんも恐らくかわいがられていた方でして、GCUに短期入院した赤ちゃんのお母さんから「ヨーちゃん、かわいがられていますよね」と言われてハッとなったのです。

ただ、ヨーちゃんも一番ではなく、ヨーちゃんよりさらにかわいがられている赤ちゃんたちがいました。一部のスタッフの方たちは、その赤ちゃんのお世話をするときの声色が完全に変わっていたし(笑)、慌ただしいGCUの中でのその赤ちゃんへの気にかけ方も違って見えました。

赤ちゃんはそんなこと気にしていないと思いますが、やはり、はたから見ている母親としては複雑な気持ちです。

しかしもし、「うちの子、かわいがられてないなぁ」と感じたお母さんがいたら、気にせずわが子にたくさんの愛情を注いであげればいいかと思います。

私はモノ言う立場ではないし、そもそも誤解もあるかもしれませんが、どんな赤ちゃんにも平等に接しているスタッフの方の方が、プロ意識が高く見えました。

親の面会頻度があらわになるGCU

NICUではほとんどの赤ちゃんが閉鎖型保育器に入っており、加えていろんな機械に囲まれています。面会に来るお父さん、お母さんは、そのような機器類に紛れて座っているので、他の面会者の顔を認識することはあまりありませんでした。

また、他の保育器を覗くことはもちろん禁止ですし、プライバシーへの配慮で他の親御さんをじろじろ見るのもはばかられる雰囲気でした。(せいぜい両隣しかわかりませんでした。)

それがGCUに移った途端、かなりオープンになります。

赤ちゃんはコットに移ってお顔が見えるようになったし、機械類が減って一人当たりの専有面積が減ったことで、面会者同士の物理的な距離もぐっと近くなりました。

さらに、お母さんに関して言えば、授乳時間に直母の練習のため授乳室で顔を合わせることになります。

そんな日々を送っていると、だんだんと親の面会頻度がわかるようになってきました。

私の印象では、来るお母さん(お父さん)は毎日来るのですが、来ない人はほとんど来ません。

お隣の赤ちゃんは親が滅多に来ませんでした

お隣の赤ちゃんは親が滅多に来ませんでした

正直なところ、親が来ない赤ちゃんは少しかわいそうに見えます。看護師さんがお世話してくれますが、忙しければ泣いてても放置されてますし、無償の愛を込めて抱いてくれるのはやはり親でしょう。

赤ちゃんがほかの赤ちゃんと自分を比較しているとは思えないので、勝手な視点ではありますが、親に愛おしそうに抱かれている赤ちゃんの隣で、一人コットで泣く赤ちゃんの姿は、どうにも切ない光景です。

あちこちから見聞きした話をまとめると、親が面会に来ないのは以下のような理由があるそうです。

  • 病院が遠い
  • 家を空けられない(上の子どもがいる等)
  • 身体的に通えない(親も入院中等)

自分が同じ立場だったら、やむを得ないかなと思える事情です。
一方で、驚いたのは下記の理由でした。

  • 仕事を再開した
  • 子どもの状態を受け入れられない

子どもがNICU/GCUに入院している間、仕事を再開するお母さんがいるそうです。それは、退院後に仕事と育児を両立する態勢を整えるためだとか。

また、子どもの状態を受け入れられなくなり、足が遠のく親御さんもいるそうです。具体的なことは聞けませんでしたが、病気や見た目の問題を抱えたわが子に会うのが辛くなってしまう人がいるようです。

切ないです。しかし、その立場にならないとなんとも言えませんが、いずれ赤ちゃんは退院するわけですから、精神的なケアを受けた方がよいのではと思いました。

上記以外に単純に子どもに会いたいと思える程度の愛情を持てない親もいると思います。毎日面会することだけが愛情だとは思いませんが、はた目には少々冷たいものを感じてしまいます。


適度な期間GCUにいられてよかったと思う

私なりのGCUの描写をしてまいりましたが、こうして振り返ると、親(特に母親)にとってありがたい時間を過ごしたなぁと思います。

命の危険な状態を脱し、ある程度の医療的なサポートを受けつつ、家に迎え入れる準備の指導を受けられる場所。そこに一か月弱もいられたことは、初めての育児を行う、かつ子育てにまったく自信がない私にとっては、貴重な時間だったと思います。

授乳や沐浴の練習はもちろん、看護師さんたちとの雑談から得る育児のヒントも役立ちました。そして、母子分離から始まった親子関係を、このGCUで築き上げることができ、家に帰ってからも他の親子に負けないくらいの愛情をもって子育てに臨めています。

赤ちゃんにとっては親と家で過ごすことが一番いい、というのは退院後の今、強く感じていますが、私にとっては必要な時間であったと思います。

私、NICU時代に病院で泣いたことは一度もなかったのですが、実はGCUの終わりくらいで一度泣いてしまったことがありました。それは、悲しい涙ではなく、うれし泣きに近かったと思います。

授乳室で婦長さんと二人きりで話す機会があり、その時にこんな話を聞きました。

「私たち看護師にとって、長期入院した赤ちゃんとお母さんが、回復に伴って幸せになっていく姿を見るのが、何よりも喜びなんです」

NICUの子どもの親たちは、程度の差はあれ、誰もが大きな不安や悲しみを抱えています。時にはそれを爆発させ、泣き出して止まらないお母さんもいるそうです。

それが赤ちゃんが回復し、成長することでやがて不安が幸福感へと変わり、GCUに移るころには、多くのお母さんたちは幸せに満ちた顔でわが子を抱きしめています。

あんどうさんが、ヨーちゃんを愛おしそうに抱いている姿を見て、とても嬉しかった

と言われ、急に涙があふれて止まりませんでした。自分の幸せを、他の誰かが一緒に喜んでくれていることが、本当に嬉しかったのだと思います。

大好き、ヨーちゃん

大好き、ヨーちゃん

GCUはそんな場所でした。

GCUに来たときは(NICUとの看護体制の違いに)不安がありましたが、退院するときはNICUだけでなく、GCUにも感謝の気持ちでいっぱいでした。

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