切迫早産体験:出産後の入院生活(2)
「切迫早産体験:出産後の入院生活(1)」の続きです。
切迫早産による入院生活について書きました。
入院2~5日目:痛みの回復、おっぱいとNICU通い
術後の痛み
帝王切開後の回復具合は人によるらしいのですが、私はわりと早かったようです。遅い人の場合、車いすや歩行器を使ってヨロヨロしているのを見かけました。私はどちらも使わず、術後翌日から自力で歩いていました。
痛み止めは座薬とロキソニンが処方されていました。
座薬は薬が切れる頃の時間になると痛みがあったので、よく効いていたように思います。3日目の朝まで使用し、その後はロキソニンに切り替えました。助産師さん曰く、座薬は強いので、使わなくてよさそうなら使わない方がいいとのことです。
あと、私は血液検査で炎症反応があったので、抗生剤の点滴をしていました。上腕に適当な血管が見つからなかったらしく、点滴のルートは手の甲でした。途中、点滴が入らなくて刺しなおすときも、気遣う看護師さんが上腕で試してくれたものの、失敗。結局、その時いた先生が反対の手の甲に容赦なくぶすりと刺して去っていきました。
これは地味に辛かったです。手の甲は刺すとき痛いというのもありますが、ここにルートがあるとあらゆる日常動作に差し障るのです。
まだルートがあるときにビニール袋で保護してもらい、入浴したのですが、片方の手のひらが使えないだけでなく、ふらついてもその手で体を支えられないのが危なっかしかったです。
また、手がきれいに洗えないので、点滴のルートがある手では保育器のヨーちゃんに触れないでいました。
おっぱいとの戦いとNICU通い
おっぱい(母乳)についてはまた別記事で詳しく書こうと思いますが、初乳が出たのはなんと4日目でした。これは本当に遅いと思います。
連日、助産師さんたちの懸命な指導を受けていましたが、全く反応しない私のおっぱい。3日目くらいには諦めかけていました。もう、このおっぱいは出ないものだと。
しかし、絶望しかかったときにようやく開通したのです。じんわりと、少しずつ出てきました。その時手伝ってくれた助産師さんは、「感動して泣きそうです!」だなんて一緒に大喜びしてくれました。親身になってくれていたのが伝わってきて、その気持ちがとても嬉しかったです。
直後に執刀医の先生の回診があり、慌てておっぱいを片付けて退院診察の話などをしたのですが、何か気になることを聞かれ、「ようやく母乳が出ました」と後から考えると先生にはどうでもいい喜びの報告をしてしまいました。
NICUでは、連日ヨーちゃんの治療が進められていました。
小さく生まれた赤ちゃんは、当日、24時間、72時間、1週間、一か月が節目(峠)になるそうです。その話を聞いたのは2日目くらいだったので、当日と24時間は意識することはありませんでしたが、72時間(3日目)を無事乗り越えたときは、嬉しさと同時に徐々に緊張がほぐれていくような、安ど感がありました。それは1週間後、一か月後も同じですし、退院を待つ今も節目節目を喜んでいます。
おっぱいの運搬もあり、NICUには徐々に頻繁に通うようになりました。
なお、NICUは清潔区域で、入室前に手洗いを徹底します。加えて感染症も当然注意すべきエリアなので、早々に先生から風疹、麻疹、おたふく、水ぼうそうの抗体有無についての確認がありました。
妊婦検診で風疹の抗体は確認済みですが、他は罹患歴はあるものの、抗体の有無をしっかり確認したことはありません。(病気になっても抗体ができないケースがあるらしい。)
結局退院後になってしまいましたが、クリニックで抗体検査を受けました。結果はばっちりでした。ちょうど麻疹が少し流行しかかっていた時期だったので、不安があり、もっと早く受けておけばよかったと思いました。
入院6~7日目:退院診察と退院
入院6日目は退院診察がありました。退院前日に母親の、当日に赤ちゃんの診察があります。ヨーちゃんはNICUに残るので、私は自分の診察のみです。
朝、体重測定と採尿。そして午前中に診察がありました。
診察は内診と傷の確認。エコーで見てもらったところ、子宮の戻りは問題ありませんでした。また、傷口は術後から貼ってあったものをはがしてもらい、状態を確認。こちらもきれいとのことでした。
ちなみに、傷口は手術後、助産師さんが血圧や検温などのタイミングで何度か確認するのですが、毎回きれいだと言われていました。しかも、通常「縦切り」になっても仕方ない緊急帝王切開だったにも関わらず、「横切り」になっていたのです。傷はパンツの中に隠れるような目立たない場所にあります。腕のいい執刀医の先生のおかげです。ありがたいことです。
傷口には、回復を促すために縦に細切れのテープを貼られました(傷口を上下に広げないようにするイメージ)。防水なのでこのまま入浴できますが、剥がれたら傷口に貼れるテープを買って貼ってくださいとのこと。そして産後の一か月検診まで貼るように言われました。
産後一か月検診の予約の話をした後、最後に痛み止めの話になったのですが、お守り代わりにロキソニンを処方してもらおうか迷っていたところ、飲まなくて大丈夫なら飲まない方がいいと言われました。
まず、ロキソニンは胃に負担が大きいそうです。また、痛み止めを飲んでしまうことで何かが悪化した際、発見が遅れる懸念があるとのことでした。
この退院診察の先生は話し方がややドライで、「痛いって言ったって手術直後よりは痛くないでしょ」と突き放されました。そりゃそうだ。……怖い先生でしたが、突き放しぶりが痛快な先生でした。
退院前日の夜、気づいたら同室の人が全員退院済みで、なんと4人部屋に私一人でした。物音に気を使わないのは気楽でしたが、ちょっと寂しかったです。まぁ、いても誰とも話しませんでしたけどね……。静かな夜を一人で過ごしました。
そして退院当日。12時までに部屋を出ることになっています。朝一でシャワーを浴びた後、荷物をまとめました。
退院の手続きはシンプルでした。支払い手続きのための書類を出すのと、セキュリティカードを返却するだけ。
特段時間がかかる手続きではなかったので、荷物を病室に置いたまま、10時ごろ到着した夫とNICUに行き、ヨーちゃんと面会しました。翌日からNICU通いをするものの、退院前に一度ヨーちゃんを撫でまわしてきたのです。
病棟に戻り、荷物を持ってセキュリティカードを返却。8日間お世話になった産婦人科の病棟と別れを告げました。
入院生活を振り返る
出産までの記事で書いたように、この病院はNICUのベッドの空きがあるとのことで搬送された病院です。
私は妊娠前から、出産する病院をかなり明確な意思で決めていました。なので、ほかの病院を検討したことがなく、この病院についても名前は知っていたものの、評判どころか場所すら知りませんでした。
自分の意思ではなく運命的にここでお世話になることになったわけですが、振り返ると、そして娘が入院を続けている現在も、本当にこの病院に入れて幸運だったなと思います。
唯一の出産・入院体験のため、ほかの病院と比較のしようがないのですが、満足度は高いし、いろんな人に深く感謝している自分を感じるのです。
切迫早産は辛い体験です。しかしそれを支えてくれる人たちに出会えたことは、大変ありがたいことでした。
……入院生活は、回復が早めだったためか、8日間は長く感じました。しかし、それなりに体力に余裕をもって帰れたのはよかったと思います。
ただ、家に着いたとき、お腹の中にも腕の中にもヨーちゃんがいないことには何とも言えない寂しさを感じました。部屋は入院前と変わらないままなのに、お腹を触ってもそこにヨーちゃんはいないのです。
この寂しさが、退院翌日から始めたNICU通いの原動力になったように思います。