本帰国前に行っておこう:シンガポールでの日本人社会の歴史に触れる場所「日本人墓地公園」
いよいよ大晦日ですね。このブログは書き溜めとか予約投稿とかしてないので、本記事はリアルに大晦日に執筆中です。シンガポールネタ、年を越すだろうなぁとは思ってましたが、やはり間に合わなかったですね……。体裁は気にせずマイペースに行きたいと思います。
さて、シンガポール在住中に行っておいてよかったと思ったり、本帰国前に駆け込みで行った場所について紹介シリーズです。第四弾は、「日本人墓地公園」です。
わりと軽い気持ちで行ってきたのですが、墓地ができた経緯、ここに眠る人たちのエピソード、そして日本と同じような墓石を目にして、思っていた以上に「シンガポールの日本人社会の歴史に触れる場所」であることを知りました。私なんぞはシンガポールに一時的に住んでいただけですが、こちらに永住を決めた人たちにとっては、より意味のある場所なのではと想像します。
行ったのはもう半年前になるので、思い出したり、調べたりしつつ書き進めたいと思います。
Contents
行ったことがある人は少ない? 行き方とそのエリアについて
いきなり言いがかりみたいなイントロですが、在住者でこの「日本人墓地公園」に行ったことがある人は意外と少ないのではないでしょうか。周囲で行ったことがあるという話をあまり聞きませんでした。
その理由は、行きづらい場所であること、お墓であることが挙げられるのではないかと思います。
まず場所ですが、シンガポールの北東ホウガン(Hougang)エリアにあります。地図を見ると最寄駅はコバン駅のように見えますが、適当なバスが見つけられず、セラングーン駅から行きました。
The Japanese Cemetery Park
825B Chuan Hoe Ave, Singapore 549853
記憶があいまいで恐縮なんですが、下記の地図の赤枠のバス停で降りて歩いて行ったと思います。バス停からは徒歩2,3分程度でした。
セラングーンは大きな駅ですが、中心部とは言えないし、観光スポットもないので、やはり来るとなると「わざわざ行く場所」になるかと思います。加えて駅からさらにバスに乗る必要があるので、行きづらい場所ではないでしょうか。
また、ここは墓地です。紛れもない「お墓」です。見て楽しむものがあるわけでもないし、食事やお茶を楽しむ場所もありません。ファミリーやマダム、もしくはカップルが、レジャー目的で来る場所ではないのは明らかです。
その2つの要素を考えると、在住者でここを訪れる人は意外と少ないのではと思います。
シンガポール日本人墓地の歴史
シンガポールの日本人墓地の歴史については、ネットでいくつも情報が出てくるので、簡単に書きます。
まず、公園入口の看板に書かれた沿革の要約です。
以前、シンガポールで死去した日本人の遺骨は、牛馬の遺骨場に埋められていました。当地で成功した二木多賀次郎が、そのことを悲しみ、所有するゴム林の一部を提供したことがこの日本人墓地の始まりです。1888年に二木多賀次郎、渋谷吟治、中川菊三の3名で、ここを日本人共有墓地として使用する申請をイギリスに行い、3年後に許可を得て、日本人墓地となりました。
上記の他、NLBのサイトの解説(→Japanese Cemetery Park)によれば、19世紀後半に日本から娼婦としてシンガポールに渡った「からゆきさん」と呼ばれる、貧しい農村の娘たちの埋葬のためだったとの記述もあります。実際、墓地の半分が彼女たちのお墓だったそうです。
その後、時代の変遷とともに「からゆきさん」は帰国していき、それ以外の当地で亡くなった日本人の埋葬地として使われていったそうです。
そして戦中・戦後は戦争関係者の墓地や記念碑が作られるようになりました。
なぜ墓地「公園」という名前なのか
ここは「日本人墓地」ではなく、現在は「日本人墓地公園(Japanese Cemetery Park)」という名前がついています。実際に行くまであまり意識しなかったのですが、この「公園」であることにも歴史がありました。
前述のような歴史を経た後、敗戦により一度接収されたものの、日本総領事館、そして当地の日本人会に管理が移されました。
しかし、土地不足のシンガポールは、国土開発の過程で多くの墓地の閉鎖・移転を行います。前述のNLBのサイトの解説によれば、日本人墓地も1973年時点で埋葬禁止令が出ています。それが1987年、とうとうシンガポール政府から墓地接収の告知があったのに対し、当時の大使が陳情したそうです。結果、リースによる墓地存続の許可が下り、さらに日本人会の記念事業として公園化したとのことでした。(→看板の解説より)
細かな交渉の過程などはわからないのですが、40を超えるシンガポールの墓地が整理されていく中で日本人の墓地が残されたというのは、いい意味でのシンガポールと日本の関係の深さを感じられる点だと思います。
でも、やはり「公園」ではなく「墓地」なんです
私は以前、この日本人墓地は、公園としてよく整備された明るい場所だという説明をどこかで読んだことがあります。確かに、ただ墓石が無機質にならぶだけの墓地ではありませんでした。立派な日本風の御堂が建っていたり、豊かな生垣や華やかなアーチがありました。公園らしく演出している雰囲気が十分にありました。
しかし、実際に行ってみたら「うーん、やはり墓地だね」というのが素直な感想です。行った日はお天気が悪く、シンガポールにしては珍しく一日暗くてじとじとした雨が降った日だったのです。それが余計に墓地らしさを演出してまして……正直薄気味悪さも感じたし、一人だったら怖くて全部見ずに帰っていたくらいでした。(幸い知人に付き合ってもらっていて二人でした。)
ただ、それはもちろん悪い意味ではなく、墓地は墓地であることを前提にしつつ、よく整備された場所であるということです。日本人墓地近辺は、大きな一軒家が建ち並ぶ閑静な住宅街です。そんな立派な家々の間に外国人の墓地があることに、違和感をまったく感じないわけではありません。なので、公園としてこの地を管理・整備する日本人会、シンガポールの日本人社会の、この土地を貸してくれているシンガポールへの配慮を感じるわけです。このあたりのニュアンスも、実際に足を運んで感じてみてほしい点です。
「日本人墓地公園」の見どころ
どんなお墓、記念碑があるかについていですが、園内にわかりやすい絵図があります。これをしっかり見た後に回るといいかもしれません。
私が感慨深い気持ちになったのはやはり「からゆきさん」のお墓でした。ぽつぽつと、小さく質素な墓石が並んでいます。もともと多くは木標だったのを墓石に替えたそうです。貧しいまま異国で命を落とした女性たちの存在に思いをはせると、切ない気持ちになります。
また、戦争関係者のお墓・記念碑というのも、見ていて複雑な気持ちです。日本からしてみれば、日本のために戦って命を落とした人たちかもしれませんが、ここは日本が占領したシンガポール。日本でなくシンガポールで埋葬する意図や意義があったのでしょうか。
ちなみに、二葉亭四迷のお墓があるという記述を時々見かけますが、ここにあるのはお墓ではなく記念碑だそうです。
ぜひ帰国前リストに加えてほしい
シンガポールへの関心のポイントは、本当に人それぞれだと思います。歴史や文化より、「今のシンガポール」を楽しみたい人たちに「日本人墓地公園」訪問を勧めるのは、なにやら説教くさい感じもします。
ただ、ここを訪れたことで、シンガポール、シンガポールと日本との関係についての新たな関心や視点が生まれる気がいたします。
また、今まで「シンガポールにおける日本人の歴史」についてあまり関心を払ってこなかったことにも気づきました。私たちは、永住目的の移住ではありませんでしたが、在住中にシンガポール社会に受け入れてもらっていたのも、先住の日本人たちの築いてきた歴史のおかげだと思います。そんな先住の日本人の人たちの存在を改めて感じ、そして敬意を払いたくなる場所でした。
年明けもシンガポールネタを続けます
さて、日本はシンガポールより1時間早く新年を迎えます。
気持ちも新たに違う話を……とも思いますが、シンガポールの思い出話も私の人生の大事な一部。年明けももう少し、シンガポールネタを続けたいと思います。
それでは皆さま、どうぞよいお年をお迎えください!