映画「沈黙」
遠藤周作原作、マーティン・スコセッシ監督の映画「沈黙」を見てきました。
私は原作のファンでして、この本を読んだ3年以上前からこの映画の上映を楽しみにしていました。(→当時の記事「本「沈黙」」)当時はまさか海外で見ることになるとは思っていなかったのですが、それでも無事シンガポールで上映され、見ることができてよかったです。
さて、細かい感想を書く前に書いておきたいことがあります。大変困ったことに……
英語がわからなかった……!!
参りました。シンガポールの英語映画は中国語字幕が多いのですが、まれに英語字幕のものがあります。今回、映画館のサイトに「英語字幕」との表記があり、「助かった!」と思ったのですが、ごくごく一部、日本語のセリフに対して英語字幕が入るだけで、全体では字幕なしの映画でした。。
主人公のロドリゴが、英語が堪能ではない日本の信者たちと話すときはゆっくり・はっきり話すので、そのような会話はなんとか聞き取れるのですが、ナレーションや宣教師同士の会話、英語ができる日本人との会話は普通のペースだったので、私にはついていけませんでした。
それで、何がダメだったって、やはりこの作品って、絵や音で見せるものではなく、言葉で表現する部分が肝の作品なので、何を言ってるのか分からないんじゃ全然ダメなんです。原作を知っていて、原作のファンだけに、そこに最初から最後まで苦しめられました。結果、私にこの作品の正当な評価はできなくなってしまいました。
そんなしょうもない前提のもとに……理解した範囲での感想を書きたいと思います。
シンガポールは日本から多少遅れて2/9からの公開だったので、ネットで日本のレビューを事前にかなり読みましたが、概ね好評という理解です。また、シンガポールでのレビューも少し読みましたが、こちらもわりと評判がいいという印象でした。
上映館の数は少ないし、一部の映画館では夜しか上映していないような状況でしたが、それでも今日、席はそこそこ埋まっていたので、シンガポールでの関心は低くないようです。
心配だったのは時間の長さ(161分)と残酷なシーンがあるということ。結果的には時間の長さは気にならなかったですし、残酷さについてはかなりきついシーンもありましたが、我慢できないほどではなかったです。
そんなわけで、概ね前評判がいいと感じた本作品ですが、評判だったけれど私がよくわからなかったのは役者さんです。窪塚洋介、イッセー尾形の評判が高かったと思うのですが、個人的には二人とも「?」でした。
窪塚洋介演じるキチジローはかなり重要な役どころで、原作を読んでいると憎らしさを感じつつも時々感情移入して、胸が苦しくなる、人間の本音を見せてくれるキャラクターです。
映画の印象は、窪塚洋介のイノセントな瞳がキチジローらしいとは思いつつ、ちょっと泥臭さが足りないと思いました。私の個人的なキチジローのイメージと合っていなかっただけかもしれませんが。
また、イッセー尾形の井上筑後守も、私のイメージに少し合わなかったです。私の中ではもう少しどっしりした人のイメージだったので。一人芝居のイッセー尾形のイメージが抜けきれなかっただけで、それがなければいい演技だと思えたのかもしれませんが……。
一方でよかったのは塚本晋也監督と小松菜奈、笈田ヨシさんです。画面で妙に存在感がありました。特にモキチの塚本晋也監督の体を張った演技は見事で、心打たれたシーンの一つです。
主役のアンドリュー・ガーフィールドは、クライマックスで感情を抑えきれなくなってくるあたりからは見ごたえがありましたが、それまではどこかフワッとしたイメージで、印象に残らない演技でした。リーアム・ニーソンはどんっと存在感があってよかったです。ベテランの風格なんでしょうか。
絵については特に書くことがありません。たとえば綺麗な色だとか、風景だとか、はっとするようなアングルや画面の切替はありませんでした。強いて言えば、後半のお寺やお屋敷の風景は日本らしく、どこか心惹かれましたが、恐らく海外で日本を舞台にした映画を見ているという感覚からくるだけのもののような気がします。
音楽は、「沈黙」という作品だけあって、全編を通じて余計な音がありません。覚えているのは荒々しい海の波の音、夏の暑さを思い出させるようなヒグラシの鳴き声です。そこに物足りなさを感じず、むしろ自然だと感じるところはこの作品の特長ではと思いました。
そんなわけで、英語が分からなかったがために、あまり中身のない感想になってしまいました。ロドリゴの苦しみ、井上筑後守の言い分、フェレイラの独白、それらがこの作品の大事な部分だと私は思っているので、そのシーンで、どのような言葉を使っていたのかが大変気になります。
いつか、日本語字幕付きで見直す必要がありそうです。