人に判断を委ねるという依存
最近になって気づいたのですが、他人に判断を委ねること(意見を聞きたい、といいつつ、その判断を取り入れることを前提にしている態度)って、相手に対する依存なのではないかと思います。
生じる結果に対し、自分では責任を負えない人が、負える立場の人に判断をしてもらうのは当然なので、それにあたりません。もっと、些細なことで、きちんと考えれば自分で判断できることを、面倒がって他人に求める態度っていうのが依存だと思うのです。
頼る、頼られる、って色んなシチュエーションや内容がありますが、「判断」については今まであまり意識にのぼりませんでした。気づいてなかったのが、だんだん合点がいかなくなって、嫌だと思うようになりました。性質が悪いのが、言ってる本人にその自覚がないこと。実は「判断」を求めているのに、「意見」という違う言葉にすりかえるもんだから、そのつもりがないのでしょう。
以前、テレビでスピリチュアルブームが取り上げられてて、昨今はビジネスの重要な決断を占いに委ねるビジネスマン、経営者が増えてるとのこと。これも自分で「判断」しない依存の一種かなと思うのですが、いかがですかね。
なんて。自分はそうじゃないかと言えば、自信はないのだけど、でも立場をわきまえている方だと思うのだけど。