「シンガポール生活」を振り返って
早いもので、シンガポールから本帰国してもうすぐ半年が経とうとしています。本帰国ネタを仕上げるのに半年もかかったということですが(笑)、本記事は「シンガポール生活」をメインにした投稿の最終回になります。いたずらに長文ですが、お付き合いいただけたら嬉しいです。
最近、シンガポールのビザ発給はますます審査が厳しくなり、帰国する人が増えていると聞きます。夫リサの名誉のために(?)書いておくと、リサは本帰国前に就労ビザを更新しており、私たちの帰国はビザのリジェクトによるものではありません。
本帰国の経緯について詳細は書きませんが、希望すればシンガポール滞在の継続は可能でした。しかし、私は日本に帰ってこられて幸せを感じる日々です。
そんな私が改めて自身のシンガポール生活を振り返り、思ったことをまとめました。
Contents
日々遠くなっていく「シンガポール」
すっかり日本の生活に戻りましたが、いまだにネットでシンガポールの情報をトラッキングしています。ときどきClass 95(ラジオ)も聞いています。地元のサークルや英語クラスのWhats appグループからも抜けていないため、発言こそしないものの、なんとなくつながりが残っています。
ただ、それはシンガポールに名残惜しさがあるというより、惰性で続けていることなので、いずれ日本での生活が今より忙しくなれば自然と消えていく習慣のような気がしています。
シンガポールでの生活は確実に日々、遠くなりつつあります。2年ちょいしかいなかったという在住期間の短さもありますが、これがもう少し長かったら想いも長く続くのか、と聞かれれば、人によって違う気がします。
在住期間以上に、シンガポールに深いつながりを残してきたとか、帰国しても関わりが続いているかどうかの方が重要だと思います。
その点でも、今後の私の人生とシンガポールの関わりは薄く、徐々に距離ができていくだろうことは今から容易に想像ができ、一抹の寂しさも感じています。
辛かった「シンガポール生活」
私にとって、シンガポール生活は辛いものでした。正確に言うと、来たばかりの頃が一番辛く、最初の一ヶ月は体調不良を起こして精神的にも半ばノイローゼのようになってました。
その後、パートで仕事を始めてから現地の生活に馴染みはじめ、やがて知人も増え、生活を楽しむ方法が分かってきました。それからは「本当に辛い」という状況からは脱したと思います。
しかし、いくら楽しいことが増えていっても、やはり好きになれませんでした。「辛い」という気持ちから、今度はここでの生活を続けるのが「うんざり」になってきました。
日本よりシンガポールの方が優れている点はいくつも見つけたし、見つける努力もしました。でも、日本での生活が、常に合計点で勝ってしまう。
一体、何が嫌だったのか。
私は20代の頃に短いながらカナダで生活したことがあるので、日本以外の生活がまったくできないとは思っていません。(カナダは帰りたくないくらい好きでした。)やはり、シンガポールの何かが苦手なのです。
生活費の高さ
一つは、生活費の高さ。食費や日用品に関しては、現地の人と同じものを選べば日本とそれほど変わりません。しかし、高い物の代表である不動産、医療、教育に関しては、外国人にとってどうにもならない高額出費なのです。
不動産に関しては、同じ金額を出せば東京ではもっといい部屋に住めるのに、と考えてもしかたないことを何度も思ってしまいました。
そして、幸い私たちは滞在中に医療、教育の大きな出費はありませんでしたが、医療は病気や怪我をした場合、教育は子どもがいれば避けられないものでした。これらを回避できるのは、主に若くて健康な単身、もしくは子どもがいない人たちなのです。
わが家は若さから卒業した中年夫婦。そして現地採用の身で会社のサポートも乏しかったので、これらの生活費の高さから、当地で生活し続けることの経済的な危うさ、息苦しさを私は常に感じていました。
目標が見つからない生活
また、私は夫の帯同だった身なので致し方ないのですが、私自身のシンガポールでの目標が見つけられなかったのも辛かったです。
振り返れば、夫を支えるというのが使命だったのかもしれないし、それなりの役目は果たしてきたつもりですが、それはとてもぼんやりした実感のないものでした。
私個人の問題と言えばそれまでですが、シンガポールを選んだのは私ではありません。この場所での生活を与えられ、改めて自分に合った目標を立てるというのがうまくできず、方向性が見えないままふらふらとした毎日を送っていたように思います。
習慣の違い
三つ目は、習慣の違い。
過去に何度か愚痴めいたことを記事にしているので、あまり詳しくは書きませんが、アジアの国々は物理的に近くても、そこに住む人たちが近い考えや習慣を持っているわけではないんだと日々実感することが多かったです。
馴染んでしまえば苦しくもなかったのでしょうが、いずれ日本に帰る身であったし、日本人としての意識や習慣を失いたくなかったので、常にストレスを抱えていました。単に柔軟性がないだけなのかもしれませんが。
高温多湿な気候
最後は、気候。
親しくない人に対してシンガポール生活をネガティブに表現するとき、一番角が立たない気がするので使う表現がこれでした。だって、東南アジアなんですから、高温多湿なのは仕方ないですよね。
もともと暑さが苦手なので、シンガポールの気候は辛かったです。シンガポールの自然豊富な公園は魅力的でしたが、日中は暑くて歩き回れませんでした。今、気候がいい日本で、昼間ずっと屋外にいられることに幸せを感じます。
そして一年中夏服だけでいいのは(お洒落じゃない私にとって)楽でしたが、季節の感覚が無いと月日の感覚も狂うようで、それも苦手でした。
辛ければ「辛い」と言ってしまえ
……すべて書き出せたかわかりませんが、シンガポール生活が嫌だったのは大体こんな理由だったと思います。
先輩ぶるつもりはありませんが、シンガポールに来たばかりだったり、これからいらっしゃる帯同者の方に伝えたいことがあります。もしシンガポールの生活が辛ければ、「辛い」と言いましょう。そしてその辛さを緩和するために何ができるのかを家族や周囲に相談し、そして自分で考えてみましょう。
私は2年2ヶ月の間に、5回もの一時帰国をしました。当地での生活に後ろ向きだった気持ちを整えるのに、とても有意義でした。
シンガポールは生活がしやすい、むしろ楽しい、最高、なんて言う人が周りにいると、自分がダメなんじゃないかと思うかもしれません。しかし合う、合わないなんて人それぞれです。暑いものは暑いんです(笑)。
私は帰国後夫に「君は海外で生活できないね」という烙印を押され、結構ショックを受けました。しかし今は開き直っています。そうっすね、もう海外生活は遠慮したいです。すみません、みたいな。
まぁ、現時点で近い将来、また海外に出る予定はないので、そういう話が出たときに夫婦でしっかり話し合いたいです。
「シンガポール生活」が私に残してくれたもの
長々とシンガポール生活のネガティブな話を書いてしまいましたが、それでもこの「シンガポール生活」が私に残してくれたものがあります。
コミュニティセンターの英語クラスの最後の授業で時間をもらい、「シンガポールで学んだこと」についてのスピーチをさせてもらったので、その原稿をベースに肉付けしたものを書きたいと思います。
3つのキーワードがあります。「英語」「ダイバーシティ」「伝えること」です。我ながらベタな感じですが(笑)、スピーチ原稿はこういうものかなと思います。
英語
シンガポール生活では、日本で以上に英語力の大切さを痛感しました。日本で英語を学んでいる人はたくさんいるし、その必要性を感じている人も多いと思いますが、シンガポールに来たら「危機感」に近い感じでその重要性を感じることができました。
それは単に日常生活で必要、というもの以上です。というか、日常で使う英語なんてごく限られているので、主に仕事における話です。(と、仕事でバリバリ英語を使っていたわけじゃない私が言うのも説得力に欠けるのですが。)
なぜそんな話をするのかというと、シンガポールに海外の企業が進出するのも、シンガポール人が海外に出て行けるのも、「英語が公用語である」という要素が大きいと感じたからです。
シンガポールが日本人にとっても生活しやすい国である理由の一つとして、英語は欠かせません。これが英語以外の言語だったら、あらゆる生活の手続きで行き詰まることが多かったろうし、ビジネスの世界ではなおさらでしょう。
技術の発達とともに、今後も英語がビジネスでどれくらい必要になるかわかりませんが、あと20、30年くらいは英語力のアドバンテージはあるように感じます。
私個人に関しては年齢も年齢なので今更感は拭えませんが、今、20代でシンガポールにおり、その空気を感じている人がいたら、やはり英語についてはまだまだ取り組む価値があるスキルの一つだと思わされました。
ダイバーシティ
日本もビジネスシーンで大企業を中心に、10年以上前からこのキーワードがはやっている気がしますが、なんとなくスローガンで終わってしまっている現場もあるのではないでしょうか。
しかし、シンガポールのダイバーシティはリアルにダイバーシティです。オフィスに「なんちゃって」な環境があるのではなく、日々の生活からしてダイバーシティにどっぷり浸かれます。
なんだかんだ約7割の中華系がマジョリティではありますが、残りは異なる人種・民族であり、その割合は日本の外国人のそれ以上です。主たる中華、マレー、インドは同じアジア系とはいえ異なる文化・宗教・習慣を持っていますし、欧米・南米系はもちろん、日本人だって異なる民族です。
それらの人たちが、この狭い国で一緒に働き、生活している。
お互いの違いを尊重しなければ、決してうまくいかないことです。シンガポールには政治的にその仕組みがあり、そしてその考えが国民に浸透しており、さらにそこにやってきた外国人も馴染む努力をしているように感じられました。
今後、日本の外国人労働者の割合がどう変化していくかは分かりませんが、これだけボーダーレスな世の中で、ダイバーシティの感覚自体は今後ますます重要になっていくと思います。それを体感できたのは貴重な経験だったのではと思います。
伝えること
原文ではAssertivenessとしました。英語でも日本語でもどう表記していいのか悩ましいのですが、「言葉にしないと伝わらない」という意図です。
シンガポールで生活していて、空気を読むとか、察するとかいうコミュニケーションは本当に日本独特なのでは思いました。
言わなきゃ伝わらない、明文化しなければ有効ではない。また、一度言うだけでは不十分だったり、形があってもさらなる交渉が必要であったり。そのプロセスで「理不尽」と感じることも、これまた日本人水準だったりするので、そこをさらに言葉や文章にしていくことが求められているように思いました。
前述の今後ますます浸透していくだろうダイバーシティな社会を考えると、日本人の感覚だけで生きるのはしんどくなってくる気がしています。つまらないことで嫌な思いもしましたが、一つの経験だったという捉え方もできました。
なによりも「日本を知った」のが一番大きい
以上3つが、「シンガポール生活」が私に残してくれたものです。
しかしながら、これらのこと以上に、一番の大きな学びは「日本を知った」ことではないでしょうか。
シンガポールで感じたことは、いつも日本と比較していました。それらが日々重なると、だんだんと日本が客観的に見られるようになってくるのです。
日本ってこういう国なんだ、日本人ってこういう考え方するな、など。
これはシンガポールに限らず、海外生活を経験した人の多くが口を揃えて言うことです。海外生活なんて誰でも簡単にできるものではないし、そういった意味で、これらの学びは貴重で大きなものだったと思います。
いいことも悪いことも、いずれ日本に帰る日本人が日本を客観的に捉えられることで、日本をいい方向に変えていけるのでは、と思いました。
最後に、在シンガポール邦人の皆さんへ
シンガポール在住中に、ブログの書き方が大きく変わりました。つぶやきのような日記から、それなりの構成をもった文章を書くようになりました。それはブログをレンタルのブログからWordpressに変更したことが大きいのですが、「シンガポール生活」という分かりやすく、かつ書きやすいネタがあったことも大きいです。
シンガポール生活を綴ってきたことで、シンガポールからのアクセスもいただいてきたことが嬉しかったです。アクセスログを見ながら、在星ユーザーにも読んでいただいている実感を通して、勝手に同胞意識を抱いておりました。
短い間でしたが、ご覧いただいた皆さんにはお礼申し上げたいです。ありがとうございました。もう、リアルタイムでシンガポール生活を綴ることはできませんが、気が向いた時にでも当ブログをのぞいていただけたら嬉しいです。
……さて、私は日本に帰国したことで、3万人の在シンガポール邦人から1億2千万の日本人の一人に戻りました。今後も、蔵出しネタなどシンガポールの思い出話は書きたいと思っていますが、それがメインになることはないでしょう。
当ブログはそもそもシンガポール・ブログではないので、今後も私的な日記として続けていきます。しかし、ありふれた日常を、そこそこの文字数にするのは難しいだろうという不安があります。
しばらくは糸が切れた凧のように、ふらふらとしたブログになりそうですが、今後も「細く長く」続けていきたいと思っています。