私のシンガポールでの「外国人」としての自覚が薄い理由
シンガポールで適度な日本製品に囲まれ、仕事も日本語のみで、中華系の人々に囲まれて生活していると、自分が外国人であることを時々忘れます。バスの列に割り込まれてハッとするくらいです(毎日本当にいい加減にせいって感じ)。
それはシンガポールが馴染みやすかったり、もともと移民や外国人が多い国だというのもありますが、個人的にはビザに対する危機感が薄いからというのが大きい気がします。
私のシンガポール滞在ビザは帯同ビザで、就労ビザを持つ夫に依存したビザです。なので私自身の働きは関係なく、夫が一定の条件を満たしているうちはシンガポールに滞在できます。また、もし夫が日本の会社に転職してシンガポールの就労ビザが失効したとしても、一緒に帰って日本で生活を続けるつもりなので、シンガポールのビザが無くなることに不安や未練がありません。
つまり、自分が持っているビザの存在感をあまり意識していないし、失効したらしたで日本に帰ろうと思ってるので、「あなたはシンガポールで、国の制度次第で追い出される外国人なのよ」という危機感が薄いのです。
そんなことが、生き方が違う人にとってはそうではないことに気づくことがあり、驚いています。
シンガポールには、どうしてもシンガポールで働きたい人、もしくは日本ではもう働きたくない、生活したくない、という人たちがいます。そういった人たちは自分たちをこの国では外国人と強く認識しているし、仕事およびビザはまさに生活の命綱でしょう。
先月のイギリスのEU離脱に関する国民投票ですが、まだ投票の半月以上前で話題になる前にNHKで特集をしているのを見ました。(たまたまセントーサのホテルに泊まった日で、日本語のNHKが見られたのでした。)
イギリスで増え続けるポーランド人移民の様子が印象に残り、私個人はロンドン市民に感情移入して移民が増えたことによる市民のストレスに共感しました。が、一方で移民に感情移入する人もいるのです。せっかくEU加盟国の国民だったからこそイギリスに住むことができたのに、その権利を失う(可能性がある)ことがかわいそうだと…。
それが先ほどの、「外国人の自覚」と関連するようです。自分が今、シンガポールで「外国人」であるからこそ、同じ目にあったらどうしよう、という不安を感じるらしいのです。
この視点の違いにカルチャーショックを受けています。
今の日本の未来がバラ色だと思っている人が多いとは思いませんが、少なくとも私にとっては帰りたい国です。そしてそう思える国の国籍を持っていることは幸せなのかもしれません。この私の浮ついたシンガポールの生活も、そういった前提があってのものなんだなと思うようになりました。