ジョホールバル訪問:ちょこっとシンガポールの歴史の話
マレーシアのジョホールバル(JB)に関連してシンガポール独立までの歴史の話をちょこっと。私がブログに書くのもおこがましいのですが、勉強を兼ねてごく一部を簡単にまとめてみました。なぜJBに関連してシンガポール独立の歴史を書くのかというと、シンガポールはジョホールバル帝国の一部だったからです。
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・1528年 ジョホール帝国(イスラム教のマレー人による国家)成立
・1600年 イギリス東インド会社設立
・1819年 イギリス東インド会社のラッフルズがジョホール帝国のシンガポール島に上陸
・1824年 シンガポール島がイギリス植民地に
ヨーロッパ諸国が世界の植民地化を進めていた時期、インドを植民地にしたイギリスは中国との交易のため、イギリス船舶の寄港地としてシンガポール島に目をつけた。当時ジョホール帝国はオランダ影響下にあったが、紆余曲折を経てスルタン(国王)と年18,000ドルを支払う条件でシンガポール島をイギリス領土とする契約をかわす。その後、シンガポール島は交易拠点として栄え、主に中国の南(華南)や南インドなどから仕事を求めて労働者が集まり、また、マレー人も別の地方からシンガポールに移住してきた。
・1942年 日本によるシンガポール島占領
・1945年 日本降伏
・1946年 イギリスはマラッカ・ペナン・マレー半島をマラヤ連邦(マレーシア)に
ただ、シンガポール島は単独の直轄植民地にした
・1957年 マラヤ連邦がイギリスから独立
・1959年 シンガポール島はイギリス連邦内自治州に
・1963年 マラヤ連邦にシンガポール、サバ、サラワクを統合して新連邦マレーシアに
シンガポールは新連邦マレーシアの1州になった
・1965年 マレーシア中央連邦政府はシンガポールの分離を決定
シンガポールは共和国として独立
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以上、史実のみで解釈が入りそうな細かい表現は避けました。
1965年、なぜシンガポールが分離独立したかについては、「追い出された」と言ってもいいそうです。シンガポールはマレーシアの中でも発展が目覚ましい場所だったのですが、他の地域に比べ中華系の割合が多く、その政党の中央への政治進出、反中央政府運動、経済対立などを理由に追放されたとのことです。天然資源が皆無で貿易だけを頼りにするシンガポールは「未来のない都市国家」と揶揄されたそうです。
シンガポールは昨年建国50年を迎えた若い国なのですが、この国の歴史について日本人はどこまで知っているものなのでしょうか。少なくとも私はまったく知りませんでした。日本で生まれ育ち、シンガポールに旅行でさえ来たことないので、知らなくても仕方ない…なんて私を基準にしたら怒られますかね。少なくとも世界史で勉強した記憶がありません。昨年、一時帰国の際に甥っ子の歴史のテキストを見たら、シンガポールの歴史は3行でした。紀元後だけでも2,000年以上の人類の歴史の中で、建国50年、そして外国人を除いて人口400万人足らずの国の歴史はまだそう存在感があるものではないのかもと思っています。
しかし、独立から今日までの50年の歴史がさらにドラスティックです。ご興味をお持ちの方はシンガポールの政治、経済、開発、教育に関していろいろ本など探してみると面白いと思います。
※主な参考文献
・物語 シンガポールの歴史 (中公新書)・シンガポール謎解き散歩 (中経の文庫)