超低出生体重児の高齢母、直母の苦労話と混合育児の現在(1)

   

先日、夫が久しぶりに遠方に出張に行き、平日留守にしていました。娘ヨーちゃんと初めて二人きりの生活になることに不安があったのですが、むしろ楽でした。

育児は子どものペースで生活をすることになりますが、夫がいるとそこに夫のペースも加わるわけで、それが無いのがこんなに楽なことだとは……。週末は夫がお風呂に入れてくれるし、ヨーちゃんを見てもらって一人で出かけることもあるので、いてくれるととてもありがたいのですが。

専業主婦なのに……見事なだらけぶりです。

さて、今回はおっぱい事情について書きたいと思います。

修正2か月弱のころの直母の模様。
修正2か月弱のころの直母の模様。

私は母乳の出が悪く、出産から搾乳まで苦労した話は、下記の記事で書いた通りです。

上記はまだ、娘ヨーちゃんがNICU入院中でかつまだ直接おっぱいを飲めない状態のころの話でした。今回はその続き、入院中の直母の苦労と、退院近くから混合が始まって現在に至るまでについてまとめたいと思います。



入院中は直母がうまくいかなかった

超低出生体重児として生まれたヨーちゃん、生まれてからしばらくは胃に直接入れたチューブ(胃管、ST)を通して、おっぱいを飲んでいました。(飲んでいた、というより入れてもらっていた…という感じでしょうか。)

人工呼吸器からの完全離脱後、生後66日目にはNICUの保育器の中で哺乳瓶から飲むことに挑戦しました(ボトル授乳)。むせてしまったり、途中で疲れてしまったりしてなかなかうまくいかない赤ちゃんがいる中、ヨーちゃんは初回からほぼ全量を飲み切る無双っぷりで、飲むことへの意欲を見せてくれました。

そしてGCUに移り、生後74日目にようやく体重が2kgを超え、翌75日目から直母が始まりました。

直母が始まることが決まったとき、わくわく感より、安心感が強かったのを覚えています。搾乳は母乳分泌の維持に大きく不利だからです。ここまで2か月以上搾乳のみで頑張ってきましたが、ヨーちゃんに吸ってもらえることで、分泌量が増えるだろうという期待がたかまりました。

ヨーちゃんの直母には呼吸や心拍のモニターが必要なため、センサーを持って授乳室に行きます。そして看護師さんが隣についてマンツーマンでやり方を指導してくださいました。

初めての直母体験は感動と言うより、痛いような痛くないような、こそばゆい、不思議な感触でした。なんとなく吸ってくれたので、授乳前後の体重を比べて飲んだ量を確認します。結果は誤差じゃないか、程度の微増。こんなものだろうと楽観的に捉えていました。

しかし、大変だったのはその翌日からでした。
直母が……まったくうまくいかなかったのです。

この日以降、ヨーちゃんはおっぱいをくわえさせても、毎度寝てしまうか、泣いて騒ぐかのどちらかでした。授乳時間は片方10~15分、両方で30分くらいが目安ですが、様子を見ていたり、なだめすかしたりするので1時間ほど授乳室にこもる日もありました。

結局、飲まないままお互い疲れて終了になります。そして直母がうまくいかなかった場合、哺乳瓶で授乳し、さらに搾乳することになります。その一連の作業は時間を要し、私のGCU通いの労力を増大させる要因になっていました。

→「GCU通いの一日とGCUについて(2)

授乳室には他のお母さんたちのメモ書きがあったのですが、みんなよく飲めていました。実際、部屋で一緒に授乳していても、毎回うまくいかずゲッソリしているのは自分だけのように思えました。

こんな日々が続き、入院中つけていた育児ノートに、とうとう愚痴を書いてしまいました。ネガティブなことは書かないようにしていたのですが、この時期の直母は本当に憂鬱だったのです。

看護師さんたちは、かわるがわる根気よく指導してくれました。姿勢をあれこれ検討してくれたり、騒ぐヨーちゃんをなだめてくれたり。何人かの看護師さんは、本当に親身になってくださり、担当じゃない日も声をかけてくださったりして、辛いながらもその気持ちが嬉しかったです。



そんな看護師さんたちからは、直母がうまくいかない原因について以下のような意見をいただいていました。

  • 乳頭混乱
  • 搾乳で乳首がむくんだ
  • ヨーちゃんの口が小さい

乳頭混乱

赤ちゃんが哺乳瓶に慣れてしまい、おっぱいを拒否する現象です。ヨーちゃんの授乳は哺乳瓶から始まっただけでなく、面会時以外の授乳はボトル授乳になります。そのため、飲みづらいおっぱいが辛いのは十分考えられました。

3時間ごと、1日8回の授乳のうち、直母ができるのは1、2回。入院中に直母回数を増やすのは難しいので、もしこれが原因なのであれば、退院を待つしかないと思いました。

なお、病院の哺乳瓶は、産院用の「母乳実感(ピジョン)」でした。直母を促すための桶谷式「母乳相談室」という哺乳瓶がありますが、病院では直母を促すためと言うより、赤ちゃんを疲れさせるために時々使っているようでした。

搾乳で乳首がむくんだ

出産後、直母を始めるまでの2か月以上もの間、私は電動搾乳機で一日8回前後の搾乳を続けてきました。

そんな(満身創痍な)私のおっぱいを見て、ある看護師さんは「むくんでいるかも」と言っていました。むくんだため、くわえづらくなったのかもしれないとのことでした。

痛みが強いときは専用のクリームを塗っていましたが、むくみに効くわけではありません。これについては搾乳を止めることも、直母をあきらめることもしたくなかったので、対処のしようがありませんでした……。

ヨーちゃんの口が小さい

現在振り返ってみて、これが一番の要因だったと思えるのが「ヨーちゃんの口が小さい」という指摘でした。

あるベテランの看護師さんが直母をじっと見た後、くわえさせ直していつもより飲めたことがありました。終わった後に言われたのが「ヨーちゃん、まだお口が小さいかも」ということでした。

体の小さなヨーちゃん、相対的にお口も小さいものでした。(私の乳首が大きいわけではありません。乳首の大きさで苦労するお母さん・赤ちゃんもいるそうです。)

これは、ヨーちゃんの成長を待つしかありません。しかし、大きくなれば解決するんだと希望がもてました。



退院間際に「混合」になる

そんな苦労がありつつ、結局直母はうまくいかないまま退院の日が近づいてきました。一方でヨーちゃんの体重が順調に増え、私の母乳分泌量がとうとう追いつかなくなってきました。

この時、血液検査でリンが不足しているというお話があり、どうせ母乳も足りない状況なら、リンが含まれた低出生体重児用粉ミルクを飲むと一石二鳥ではないか、と先生が提案くださいました。入院期間中は、もらい母も含めてずっと母乳でしたが、退院近くになってとうとう粉ミルクを飲むようになり、「混合」になったのです。

私なりに搾乳を頑張ってきたので、悔しさがないと言えば嘘になりますが、出産前に母乳に強いこだわりがあったわけではないし、母乳を増やすというプレッシャーから解放された感もありました。

こうして退院後は母乳・粉ミルクの混合での育児がスタートしました。

なお、低出生体重児用粉ミルクは退院後2か月ほど飲んでいましたが、フォローアップの先生が薬を処方してくださり、通常のミルクに変更しています。

→「「未熟児フォローアップ外来」+「小児内分泌」2回目



退院後の授乳の管理

育児日記

退院後は搾乳ダイアリーを卒業し、森永の育児日記で記録を始めました。搾乳ダイアリーの続きとして、哺乳量や回数をチェックするために使い始めましたが、睡眠時間、排泄、そのほかの記録にも役立っています。私にはアプリより手書きの方が合っているみたいです。

森永乳業の育児日記
森永乳業の育児日記

この育児日記、書きやすくて気に入っています。現在も続けています。一部の産院では無料で配っているものだそうですが、ヨーちゃんの病院はおっぱい推奨病院だったので、配布しておらず、自分で買いました。

森永乳業の育児日記、記録の様子
森永乳業の育児日記、記録の様子

母乳マッサージ

NICU/GCU入院中、母乳の分泌量に悩んで通い始めた母乳マッサージ(助産院)ですが、ヨーちゃん退院後も定期的に通うことになりました。ヨーちゃん連れで通うので、近所でいい先生に出会えたのは本当にラッキーでした。

通院は、引き続き分泌を維持するため、もしくは増やすためだけでなく、おっぱいのトラブル回避のためでもありました。何度か詰まりを感じたり、白斑ができたりなどしましたが、先生のおかげで一度も乳腺炎などひどい症状になることはなく済んでいます。私の母は乳腺炎に悩まされたらしく、「なぜならないの!」と驚いています。

現在は3週間に一回程度見ていただいており、断乳まで指導していただく予定です。

……「超低出生体重児の高齢母、直母の苦労話と混合育児の現在(2)」に続く。

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