出産後の各種手続きおよび出産費用のまとめ

出産後の各種手続きおよび出産費用のまとめ

今日は夫がNICUでカンガルーケアをやりました。私がやったときより娘のヨーちゃんの様子が落ち着いており、爆睡状態。ちょっとジェラシーを感じる母でした。

さて、出産後はいろいろな手続きに追われました。本記事ではわが家が出産後に自治体、会社、病院へ行った各種手続きについてまとめたいと思います。

出産直後、夫が平日に2日休みを取ってくれたので、私が入院中は夫にできる範囲の処理を進めてもらい、退院後は私が残りの手続きを進めました。種類が多くて優先順位や順番がわからなかったため、その時できる手続きをすぐに進めるようにしました。

すべての手続きが最短で進められたと自負していますが、それでも一番時間がかかる養育医療券は延べ一か月半かかっています。

また、出産にかかった費用も簡単にまとめましたので、参考までに公開したいと思います。


わが家の出産後の各種手続き

お住まいの地域やお勤めの状況などによって異なると思います。以下は東京某区在住で、夫がサラリーマン、妻は専業主婦というわが家のケースです。

自治体への手続き(区役所もしくは保健所)

  • 出生届
  • 児童手当の申請
  • 乳幼児医療証(マル乳)の申請
  • 出生通知書
  • 未熟児養育医療制度の申請

出生届、児童手当の申請、乳幼児医療証(マル乳)の申請はすべて区役所でした。

出生届は、出すとすぐに子どもが住民票に載るようです。夫は出生届を出して同じ窓口で住民票の写しを記念にとってきました。ちなみに、マイナンバーはすぐに付与されるので、マイナンバー記載入りの住民票を一部取っておくと便利かと思います。後述の会社での被扶養者加入手続きに娘のマイナンバーが必要だったためです。

また、夫が手続きしたためあいまいなのですが、児童手当とマル乳の手続きは一緒だったようです。本人(赤ちゃん)の健康保険証が必要ですが、まだできていなかったため、後日コピーを送るという形で先に申請を済ませました。

健康保険証ができた後、コピーと申請の際の指定の書類を返送したところ、まずマル乳が届き、その後児童手当金額決定の通知が届きました。

出生通知書は母子手帳についているハガキです。出生届とは別に保健所に郵送することで、赤ちゃんの出生を通知します。この通知を受けて保健師や助産師さんが自宅に来るようですが、わが家は早産で赤ちゃんがNICUに入院している旨記載したところ、現在までのところ連絡はありません。

最後の未熟児養育医療制度は、未熟児はじめ、指定の状態の新生児の医療費が給付される制度です。申請は保健所で行います。わが家は入院早々にNICUで案内をいただいたのですが、このような制度があることを知らず、NICUに長期入院が決まった際は一体いくらかかるのか青ざめましたが、日本(東京)の医療制度は子供に手厚いことを知って、とてもありがたく思いました。

申請はお住いの地域の保健所を通して東京都に行うのですが、自治体によって必要書類が異なるようです。共通して必要なのは養育医療申請書、養育医療意見書、世帯調書、所得証明の4つ。わが家は加えて健康保険証とマル乳のコピーが必要だったため、申請までに少し時間がかかりました。

また、やや特殊なケースですが、わが家は昨年途中まで海外にいたため、申告する年の所得税がゼロでした。対象年度に国内の収入がなかったことを証明するため、税務署の印鑑がある確定申告書の控えのコピーおよび戸籍の附表(海外在住だったことを証明する書類)も提出しています。

産後の手続きが意外と多い
産後の手続きが意外と多い

夫の会社および健保への手続き

  • 被扶養者加入手続き
  • 限度額適用認定証の申請
  • 高額療養費付加金

夫が会社および加入している健保に行った手続きです。

被扶養者加入手続きは、娘を夫の被扶養者にする手続きです。夫が会社で手続きをしました。これにより娘の健康保険証が発行されました。

前述のように、児童手当およびマル乳の申請に健康保険証のコピー提出が必要でした。さらに、マル乳がないと未熟児養育医療制度の申請もできなかったので、養育医療券はこの健康保険証の発行がボトルネックになって手続きが遅れた印象です。

限度額適用認定証の申請および高額療養費付加金は、健康保険組合への申請です。(私はすでに夫の被扶養者でした。)

限度額適用認定証の申請は、医療費が高額になる場合に備え、窓口での支払いが自己負担限度額までになるようにする手続きです。妊娠中にすでに申請している方も多いのではないでしょうか。

私は早い時期から姉にこの申請をしておくよう指南があったのですが、必要書類を用意して安心してしまい、手続きしないうちに出産となってしまいました……。慌てて手術の翌日から夫に動いてもらい、なんとか退院には間に合いました。

高額療養費付加金は、夫が加入している健保独自の付加金で、医療費が高額だった場合にいくらかの補助があるようです。すでに申請済みですが、入金まで数か月かかるそうです。しかも金額がよくわかりません。いただけるだけで十分ありがたいのですが。

(2018/11/12追記:
先日、この付加金の振り込みがありました。金額は後述の「出産にかかった費用」に書きます。健保によって金額は異なるかもしれませんが、この制度がある健保に加入している方は忘れずに申請いたしましょう……!)

病院での手続き

  • 産科医療補償制度の手続き
  • 出産育児一時金直接支払制度の手続き
  • 保険の給付金請求のための診断書

最初の2つは病院から案内があるので、多くの方が忘れることなくする手続きかと思います。所定の書類にサインをして提出するだけでした。

ちなみに、産科医療補償制度の書類はもともと出産予定だった病院で分娩予約の際に提出済みでしたが、今回救急搬送された病院で再度提出いたしました。

給付金請求のための診断書は、保険会社に所定の用紙を請求したのち、病院で申し込みました。

保険会社への手続き

  • 給付金の請求

出産が帝王切開になり、かつ子宮筋腫の切除もしたため、加入していた保険の手術給付金および入院給付金を請求しました。

まず、保険会社に電話をして申請書を取り寄せました。また、同時に病院に診断書の請求手続きをしました。

手続きは、この所定の申請書および病院の診断書を送るだけでした。(もちろん、会社によって手続きが異なる可能性があるので、詳細はご自身が加入している保険会社にお問い合わせください。)

面倒だったのは今回利用した病院が2つあったこと。手術した病院は今NICUに通っているので、面会のついでに手続きをすませました。もう一つの一泊だけした病院は、夫に手続きしてきてもらい、診断書は郵送してもらいました。

後者の病院の診断書発行が遅く、届くまでに1か月もかかりました。


出産にかかった費用

私の今回の出産にかかった費用を公開します。

2つの病院を利用しており、さらに緊急帝王切開となった私。医療費の明細は数ページにわたり、いろんな加算がされまくっており、あまり参考にならないと思います……。

また、恐らく病院名を出した方が関心を持っていただけると思うのですが、現段階で病院名の公開は考えていないので、都内のそれなりに大きい病院だとお考えください。

病院(1)切迫早産のための入院(1泊2日)

  • 診療費:56,650円(保険適用)

病院(2)帝王切開による出産・入院(7泊8日間)

  • 診療費:278,612円(保険適用)
  • 保険外:446,770円
  • 出産育児一時金:△420,000円

自己負担金合計:362,032円

出産育児一時金でおつりが出てくるような方もいる中で……すごい額だと思いました。高額な理由の一つに、分娩介助料(保険外)が強烈に響いています……。(個室は使っていません!)

また、上記のほかに給付金請求のための診断書料が以下の通りでした。

  • 病院(1)12,960円(2通)
  • 病院(2)25,920円(3通)

さらに、産後一か月の検診(母親のみ)は10,000円でした。これもかなり高額かと思います。

マイナスばかりではなく、プラスもありました。前述のように、加入していた保険の給付金がおりています。ただ、貯蓄目的で医療保障部分は最小限にしていたため、あまり大きな金額にはなっていません。

(2018/11/12追記:
申請から4か月ほど後、加入している健保より高額医療費付加給付金を253,417円いただきました。大変助かりました……!)


もろもろの産後の手続きについて思ったこと

出産後に行う手続きは、思いのほか多かったと思いました。

特にわが家は切迫早産で急だったため、やるべきことを一気に洗い出して、一気に片付ける羽目になりました。

どんな手続きが必要か、それぞれどのように進めるかなどは、妊娠中にまとめておくことをお勧めしたいです。

特に限度額適用認定証の申請は、何かあった際に慌てないよう早めに手続きしておきましょう。

切迫早産体験:私と娘の傷病名・症状・状態

切迫早産体験:私と娘の傷病名・症状・状態

切迫早産による手術・入院体験を綴ってきましたが、私の早産に至った傷病名、そして小さく生まれた娘・ヨーちゃんの症状・状態について書きたいと思います。

なお、私は一般人であり、医療関係者ではありません。理解している範囲で誤解のない表現に努めますが、医療情報についての内容の正確性は保証できない旨、あらかじめご承知ください。


私の傷病名~なぜ切迫早産に至ったか

手術・入院体験の記事では触れなかった、私がなぜ切迫早産に至ったかについて。

結論から言うと、原因は不明でした。

入院中に「子宮内感染」と聞いていましたが、産後一か月検診の際に聞いた病理検査の結果を聞いて、なんだかよくわからないままになりました。

手術までの経緯で書いたように、私は事態の急展開による頭の混乱と事前の勉強不足により、先生方のあらゆる説明が頭を素通りしていた可能性があります。

なので、切迫早産により赤ちゃんを取り出すという事態は理解したものの、しばらくはそれに至った原因の説明までは(あったのだと思いますが)頭に残っていませんでした。

そんな状況で初めて「子宮内感染」という言葉を受け止めたのは、術後の執刀医の先生による回診の際でした。

症状は、出血、発熱、血液の炎症反応の上昇、子宮収縮(張り)、そして母児ともに頻脈(心拍が上がってる状態)でしたが、これらから「子宮内感染」という診断を受けたという理解です。

「子宮内感染」は文字通り、子宮がなんらかのウイルス、細菌感染をした状態です。思い当たる節はありません。考えられる感染の原因をうかがったところ、原因不明のケースが多いとのことでした。(食べ物から感染することはないそうなので、下からなにかの感染をしたと考えられる。)

なお、後で最初の病院の診断書を確認したところ、やはり傷病名は「子宮内感染疑い」となっていました。

よってこの時点で、私の切迫早産は「原因不明の細菌感染を起こしたことによるもの」という理解になりました。

しかし、産後一か月検診で聞いた病理検査の結果はそのような内容ではなかったようです。

術後に胎盤および臍帯が病理検査に出されたそうです。(ちなみに、臓器が病理検査に出されていたことはこの時初めて知りました。)

その結果は、問題なし。つまり、臓器には切迫早産を起こすような問題はなかったとのことでした。

またもや私の理解があいまいなのですが、これはつまり「子宮内感染の原因が不明」なのではなく、そもそも「切迫早産の原因が不明」ということではないかと思います。

執刀医の先生と話しをする機会はもうないので、私の理解を確認する術はないのですが、冒頭に書いたように、今回の切迫早産の原因はまったく不明なのでした。

切迫早産の原因は不明だった
切迫早産の原因は不明だった

それも「そういうものだ」と言われれば受け入れるしかないのですが、その結果を聞いて私の気持ちは宙ぶらりんになりました。まだ「子宮内感染だった」と言われる方がスッキリします。

幸い、娘ヨーちゃんの経過がとても良いため、今は考えないようにしているのですが、時々どうしても気持ちがもやっとします。ヨーちゃんにさらに元気に育ってもらい、時間とともに忘れられたらと思っています。


小さく生まれたヨーちゃんの症状と状態

続いてはヨーちゃんについてです。一部意図的にあいまいに書いていますが、ご容赦ください。

生れてしばらくのヨーちゃん
生れてしばらくのヨーちゃん

ヨーちゃんには出生当日、まず以下のような診断がくだりました。

まず、早く、小さく生まれた、ということ。これは切迫早産で生まれたので、言わずもがなです。ただ、週数に比べても少し小さい赤ちゃんでした。

また、新生児仮死という診断がありましたが、在胎週数から普通のこととのことです。加えて、やはり未熟児のため、呼吸窮迫症候群(RDS)という診断もありました。

呼吸については呼吸器から始まったのですが、現在は鼻に酸素マスクをつけることで呼吸を応援してもらっており、そのマスクも卒業に向けて頑張っています。

最後に、細菌感染症の疑い。これは私が子宮内感染疑いだったことを受けての診断だと思います。こちらは後日早々に、感染はなかったとの結果をいただいています。(そもそも子宮内感染がなかったのなら納得の結果です。)

また、翌日に動脈管開存症のお話もありました。本来は生まれて2日以内くらいに閉じる血管が開いたままの状態で、これも小さく生まれた赤ちゃんの多くが発症する疾患だそうです。

有効なお薬があり、ヨーちゃんはそちらで無事閉じた模様です。(閉じなかった場合は手術が必要でした。)

さらに一週間後くらいに、未熟児特有の症状についてのお話がありました。未熟児貧血、未熟児網膜症、未熟児骨減少症の3つです。

貧血は造血機能が未熟なため起こり、骨減少症は十分な栄養が受けられないまま生まれたことにより骨の成長が妨げられる病気です。どちらもお薬で治療を進めていただいています。

未熟児網膜症は、目の網膜の血管が成長しきってない段階で生れたことにより起こる病気です。毎週眼底検査をしてもらい、もし血管がよくない成長の仕方を始めた場合はレーザーの治療が必要になるそうです。こちらは現在、検査で進行を見守っていただいています。

上記に加えてあと一つ、懸念事項があるのですが、そちらはまだあいまいなので割愛。

これまでヨーちゃんの症状についてうかがった話は以上です。

幸い、と言っていいと思うのですが、未熟児特有の疾患はあるものの、今のところ深刻な症状や大きな手術の必要性はないという認識です。

保育器の外に出るため、小さい赤ちゃんに課題となるのは呼吸、体温調整、消化だそうです。ヨーちゃんは消化が得意らしく、そのおかげで順調に体重を増やし、体力をつけているため、いろいろな治療に対して対応ができているようです。

退院後も、発達のことなどまだ分からないことはありますが、現時点で分からないことは書けません。病院のフォローを受けながら随時考えていきたいと思っています。


私のメンタル面~小さな赤ちゃんの母親の気持ち

最後に、私のメンタル面について書いておきたいと思います。

通常のお産ではなく、かつ赤ちゃんがNICUで長期入院するという状況におかれて、精神的に無傷というのは難しいと思います。私も何度もヨーちゃんに対し申し訳ないという気持ちになったし、落ち込むこともありました。

私の場合、一番ショックだったのは急遽赤ちゃんを取り出すことが告げられた時でした。

それまで、高血圧、合併症、子宮の問題など、切迫早産の要因になるような症状はまったくなく、妊婦検診も1週間前に受けたばかりでした。

もともと懸念されていたなら覚悟もできていたかもしれませんが、あまりに急だったので、頭で考えるより先に涙が出てきたし、精神的にも突然落とされたような状態になったのです。

また、周囲の心配というのも意外と堪えるものです。例えば、「赤ちゃんがかわいそう」と言われるのは、責められているみたいで辛かったです。第三者に言われたときは、悲しみを通り越してカチンとくるくらいでした。

しかし、今は泣くことはないし、クヨクヨもしていません。私が回復に至ったのは、主に以下のような背景があります。

  • ヨーちゃんが大きな懸念なく順調に育っている
  • 考えても(悩んでも)仕方ないと思った
  • 原因が不明だった

一番大きな理由は、ヨーちゃんが元気であるということです。前述のように、今、先が見えないような症状や治療はありません。体重増加も順調で、少しずつ退院のイメージもわいてきています。

小さく生んでしまったけれど、ヨーちゃんはその困難に立ち向かい、そして次々と課題をクリアしてくれています。その前に進む姿を見て、私も前を向いて毎日を送ることができています。

また、手術後は、いろいろ考えたり悩んだりしても仕方ないという風に考え方を変えました。ごめんね、と謝ったり悲しくなったりしたところで、起きたことは元に戻せません。悲しんで落ち込んでいる時間があったら、面会に行ってヨーちゃんを撫でまわす方が有益だと思いました。

そして、切迫早産の原因が不明だったことも、一つの要因です。高血圧だったとか、無理をしたとか、自身の妊婦生活に問題があったのであれば、もう少し自責の念にかられていたと思うのですが、思い当たる節がないため、本当にどうすればこの事態が避けられたのかわかりませんでした。

これはもやもやが残った要因でもあるのですが、一方で自分を責め続けない理由の一つにもなっています。

なお、入院したばかりの頃にもらったある看護師さんのアドバイスがとても私には有効でした。

最近のお母さんはこういった状況に置かれると、ネットであれこれ調べたりしがちです。しかし、ネットには(事実であっても)不必要なネガティブな情報も多いのです。

こういった情報にいたずらに触れるのではなく、悩んだり、辛くなったり、わからないことがあったらNICUに来てスタッフと話してください、とのことでした。

ネットで検索。私はやってしまいがちでした。このアドバイスを受けて、しばらく未熟児の赤ちゃんの情報をネットで検索することはしませんでした。ほかの子に起こることが、必ずヨーちゃんに起こるわけではないのです。また、90%の確率で起こることは、10%の確率で起きないのです。

ネットの情報が無意味とは思わないし、今は振り回されない程度に私が落ち着いているので、積極的にネットで情報収集することもあります。

小さな自分の子どもが辛い治療を受ける姿を見ていて、辛い気持ちにならない親はいないでしょう。

しかし、不安に感じることがあったら、先生や看護師さんに確認・質問するようにしています。不安な気持ちに本当に有効なのは、その当人にとって適切で正しい情報だからです。


まとめ

私の切迫早産の原因は不明でした。そして、ヨーちゃんは小さく生まれたがゆえに抱えるいくつかの症状があります。

私の気持ちは、辛い時期もありましたが、頑張るヨーちゃんの姿や、周囲の支えがあって今は前に向いています。

ヨーちゃんへの感謝
ヨーちゃんへの感謝

退院までまだあともう少しかかりそうです。でも、退院というゴールまでの道筋は見えてきたし、日々大きな成長を見せてくれるヨーちゃんの姿に力を分けてもらいながら、私も一緒に頑張っています。

切迫早産体験:出産後の入院生活(2)

切迫早産体験:出産後の入院生活(2)

切迫早産体験:出産後の入院生活(1)」の続きです。
切迫早産による入院生活について書きました。


入院2~5日目:痛みの回復、おっぱいとNICU通い

術後の痛み

帝王切開後の回復具合は人によるらしいのですが、私はわりと早かったようです。遅い人の場合、車いすや歩行器を使ってヨロヨロしているのを見かけました。私はどちらも使わず、術後翌日から自力で歩いていました。

痛み止めは座薬とロキソニンが処方されていました。

座薬は薬が切れる頃の時間になると痛みがあったので、よく効いていたように思います。3日目の朝まで使用し、その後はロキソニンに切り替えました。助産師さん曰く、座薬は強いので、使わなくてよさそうなら使わない方がいいとのことです。

あと、私は血液検査で炎症反応があったので、抗生剤の点滴をしていました。上腕に適当な血管が見つからなかったらしく、点滴のルートは手の甲でした。途中、点滴が入らなくて刺しなおすときも、気遣う看護師さんが上腕で試してくれたものの、失敗。結局、その時いた先生が反対の手の甲に容赦なくぶすりと刺して去っていきました。

これは地味に辛かったです。手の甲は刺すとき痛いというのもありますが、ここにルートがあるとあらゆる日常動作に差し障るのです。

手の甲の点滴ルート
手の甲の点滴ルート

まだルートがあるときにビニール袋で保護してもらい、入浴したのですが、片方の手のひらが使えないだけでなく、ふらついてもその手で体を支えられないのが危なっかしかったです。

また、手がきれいに洗えないので、点滴のルートがある手では保育器のヨーちゃんに触れないでいました。

おっぱいとの戦いとNICU通い

おっぱい(母乳)についてはまた別記事で詳しく書こうと思いますが、初乳が出たのはなんと4日目でした。これは本当に遅いと思います。

連日、助産師さんたちの懸命な指導を受けていましたが、全く反応しない私のおっぱい。3日目くらいには諦めかけていました。もう、このおっぱいは出ないものだと。

しかし、絶望しかかったときにようやく開通したのです。じんわりと、少しずつ出てきました。その時手伝ってくれた助産師さんは、「感動して泣きそうです!」だなんて一緒に大喜びしてくれました。親身になってくれていたのが伝わってきて、その気持ちがとても嬉しかったです。

おっぱいがようやく開通
おっぱいがようやく開通

直後に執刀医の先生の回診があり、慌てておっぱいを片付けて退院診察の話などをしたのですが、何か気になることを聞かれ、「ようやく母乳が出ました」と後から考えると先生にはどうでもいい喜びの報告をしてしまいました。

NICUでは、連日ヨーちゃんの治療が進められていました。

小さく生まれた赤ちゃんは、当日、24時間、72時間、1週間、一か月が節目(峠)になるそうです。その話を聞いたのは2日目くらいだったので、当日と24時間は意識することはありませんでしたが、72時間(3日目)を無事乗り越えたときは、嬉しさと同時に徐々に緊張がほぐれていくような、安ど感がありました。それは1週間後、一か月後も同じですし、退院を待つ今も節目節目を喜んでいます。

おっぱいの運搬もあり、NICUには徐々に頻繁に通うようになりました。

なお、NICUは清潔区域で、入室前に手洗いを徹底します。加えて感染症も当然注意すべきエリアなので、早々に先生から風疹、麻疹、おたふく、水ぼうそうの抗体有無についての確認がありました。

妊婦検診で風疹の抗体は確認済みですが、他は罹患歴はあるものの、抗体の有無をしっかり確認したことはありません。(病気になっても抗体ができないケースがあるらしい。)

結局退院後になってしまいましたが、クリニックで抗体検査を受けました。結果はばっちりでした。ちょうど麻疹が少し流行しかかっていた時期だったので、不安があり、もっと早く受けておけばよかったと思いました。

麻疹、おたふく、水ぼうそうの抗体検査結果
麻疹、おたふく、水ぼうそうの抗体検査結果



入院6~7日目:退院診察と退院

入院6日目は退院診察がありました。退院前日に母親の、当日に赤ちゃんの診察があります。ヨーちゃんはNICUに残るので、私は自分の診察のみです。

朝、体重測定と採尿。そして午前中に診察がありました。

診察は内診と傷の確認。エコーで見てもらったところ、子宮の戻りは問題ありませんでした。また、傷口は術後から貼ってあったものをはがしてもらい、状態を確認。こちらもきれいとのことでした。

ちなみに、傷口は手術後、助産師さんが血圧や検温などのタイミングで何度か確認するのですが、毎回きれいだと言われていました。しかも、通常「縦切り」になっても仕方ない緊急帝王切開だったにも関わらず、「横切り」になっていたのです。傷はパンツの中に隠れるような目立たない場所にあります。腕のいい執刀医の先生のおかげです。ありがたいことです。

傷口には、回復を促すために縦に細切れのテープを貼られました(傷口を上下に広げないようにするイメージ)。防水なのでこのまま入浴できますが、剥がれたら傷口に貼れるテープを買って貼ってくださいとのこと。そして産後の一か月検診まで貼るように言われました。

横切りの帝王切開傷跡
横切りの帝王切開傷跡

産後一か月検診の予約の話をした後、最後に痛み止めの話になったのですが、お守り代わりにロキソニンを処方してもらおうか迷っていたところ、飲まなくて大丈夫なら飲まない方がいいと言われました。

まず、ロキソニンは胃に負担が大きいそうです。また、痛み止めを飲んでしまうことで何かが悪化した際、発見が遅れる懸念があるとのことでした。

この退院診察の先生は話し方がややドライで、「痛いって言ったって手術直後よりは痛くないでしょ」と突き放されました。そりゃそうだ。……怖い先生でしたが、突き放しぶりが痛快な先生でした。

退院前日の夜、気づいたら同室の人が全員退院済みで、なんと4人部屋に私一人でした。物音に気を使わないのは気楽でしたが、ちょっと寂しかったです。まぁ、いても誰とも話しませんでしたけどね……。静かな夜を一人で過ごしました。

そして退院当日。12時までに部屋を出ることになっています。朝一でシャワーを浴びた後、荷物をまとめました。

退院の手続きはシンプルでした。支払い手続きのための書類を出すのと、セキュリティカードを返却するだけ。

特段時間がかかる手続きではなかったので、荷物を病室に置いたまま、10時ごろ到着した夫とNICUに行き、ヨーちゃんと面会しました。翌日からNICU通いをするものの、退院前に一度ヨーちゃんを撫でまわしてきたのです。

病棟に戻り、荷物を持ってセキュリティカードを返却。8日間お世話になった産婦人科の病棟と別れを告げました。


入院生活を振り返る

出産までの記事で書いたように、この病院はNICUのベッドの空きがあるとのことで搬送された病院です。

私は妊娠前から、出産する病院をかなり明確な意思で決めていました。なので、ほかの病院を検討したことがなく、この病院についても名前は知っていたものの、評判どころか場所すら知りませんでした。

自分の意思ではなく運命的にここでお世話になることになったわけですが、振り返ると、そして娘が入院を続けている現在も、本当にこの病院に入れて幸運だったなと思います。

唯一の出産・入院体験のため、ほかの病院と比較のしようがないのですが、満足度は高いし、いろんな人に深く感謝している自分を感じるのです。

切迫早産は辛い体験です。しかしそれを支えてくれる人たちに出会えたことは、大変ありがたいことでした。

……入院生活は、回復が早めだったためか、8日間は長く感じました。しかし、それなりに体力に余裕をもって帰れたのはよかったと思います。

ただ、家に着いたとき、お腹の中にも腕の中にもヨーちゃんがいないことには何とも言えない寂しさを感じました。部屋は入院前と変わらないままなのに、お腹を触ってもそこにヨーちゃんはいないのです。

この寂しさが、退院翌日から始めたNICU通いの原動力になったように思います。

切迫早産体験:出産後の入院生活(1)

切迫早産体験:出産後の入院生活(1)

切迫早産で出産するまでを書きましたが、その後の私の入院生活についても書き残しておきたいと思います。

私の入院は8日間(7泊8日)でした。当初、7日間もしくは8日間、という案内だったのですが、恐らく治療の都合で8日になったのだと思います。(点滴が予定より一日長かったので。)


手術当日(入院0日目):ぐったり

手術の後、ベッドに移ってベッドごと病室に運び込まれました。

前の記事の最後に書いたように、4人部屋を選びました。このお部屋、母子同室ができないお母さんが集められていました。それぞれ置かれている状況が異なるので、話しかけづらかったです。全員NICUで見かけましたが、入院中誰とも話すことはありませんでした。

病室に入った後ですが、入院の準備をしていなかったので、パジャマはレンタルしました。産褥ショーツはこの病院で支給されるグッズに入っていたものをはかせてもらったようです。胸はノーブラ。スリッパも使い捨ての物を病院から購入。何も持っていない自分が笑える状況でした。着替えや化粧品などは、徐々に夫に運んでもらいました。

そして、帝王切開はみんなそうなのですが、全身管だらけです。鼻から酸素、手には点滴、腕には血圧のカフ、下腹部は尿管カテーテル、足は静脈血栓予防のフットポンプ。

管だらけの帝王切開術後
管だらけの帝王切開術後

尿管カテーテルは人生初体験で、入れるときの感覚は衝撃(痛いとも違う違和感)だったのですが、一度付けたらトイレに行かなくて済むのが楽でした。まだ歩くのに痛みがあるとき、外されるのが惜しかったくらいです(笑)。

また、フットポンプは定期的に足全体に圧力をかけてくれるものだったのですが、気持ちがいいくらいでした。

辛かったのは点滴です。しばらく起き上がることはなかったにしろ、点滴のせいでベッドの上で姿勢を変えるのが難しく、腰とか背中などが痛かったです。

いずれにしても心身ともにボロボロでして、ぐったりしてベッドに沈んでいました。そんな状態の時、遠方に住む夫の両親が面会にやってきたのです。

実は緊急入院が決まった前の晩、夫が両方の両親に連絡をしたところ、心配した義両親がすぐに駆けつけたいと言ってくれたのでした。正直なところ、手術直後は辛いので翌日にしてほしく、その旨伝えたものの、すでに新幹線のチケットを手配済みだったのでした。

一応ベッドの上で上半身は起こして待っていましたが、管だらけのぐったりした私を見たら、いつもは明るく元気な義両親も顔を曇らせ、一言二言だけもらして退室していきました……。

そして夜も、非常に辛い時間を過ごしました。前の晩から喉の渇きで頭がおかしくなりそうでしたが、まだ飲食禁止だったのです。

ただ、うがいはOKだったので、寝た状態で看護師さん(助産師さん)に水を口に含ませてもらい、容器に吐く、というのを何度もさせてもらいました。手術当日は頻繁に見に来てもらえるので、そのたびに嫌な顔をせず、対応してくれたスタッフの方々には本当に感謝しました。


入院1日目:帝王切開の痛みとおっぱい

翌朝、痛み止めの座薬を入れてもらいました。痛み止めは点滴から入っていて、自分で量の調整も可能だったのですが、そちらはできるだけ使わないようにしました。

朝から水は飲んでOKになり、本当に苦しかったおとといの夜からの水断ちはここで卒業です。また、尿管カテーテルもはずされました。

そして、この日から始まったのが「おっぱい」との戦いです。

母乳については、検診を受けていた前病院で母乳育児クラスを受講予定でしたが、出席前に出産になったため、まったく勉強不足でした。

母乳分泌に必要なホルモン、プロラクチンは出産時がピークだそうで、その後は授乳しないと減ってしまい、ほうっておけば母乳は出なくなってしまうとのこと。

言わずもがな、私はヨーちゃんに直接おっぱいを飲ませることができないので、搾乳による母乳分泌をさせなくてはなりません。

母乳は今でも少なくて苦労しているのですが、出産後はまず「出ない」ことが大変でした。乳管開通までに時間がかかったのです。この病院は母乳育児を強く推奨している「おっぱい病院」だったこともあり、この後、退院まで助産師さんによるおっぱい指導が続くことになりました。

お昼から食事が出るようになりました。ただし、初回は回復食で、重湯、だし汁、小さなゼリーだけのランチ。お腹が空いているというより、何かを口に入れたい欲求が満たされない辛さがありました。

お昼過ぎには、術後、初めてのトイレに挑戦です。助産師さんが付き添ってくれました。

まー、これがツラいのなんのって。

そもそもベッドから起き上がり、ベッドから降りて、歩いてトイレに行く……ということだけでも大ごとです。加えて排泄も非常に痛みを伴うものでした。切った子宮の近くの臓器が動くことで、何とも言えない気持ちの悪い下腹部の痛みがあります。

トイレが辛い帝王切開術後
トイレが辛い帝王切開術後

帝王切開は術後が辛いと聞いていましたが、みんなよく頑張っていると思います……。

昼下がり、昨晩近くのホテルに泊まった義両親と、私の母が面会に訪れました。

母は、姉から託された入院グッズ(産褥ショーツ、ナプキン、圧着ソックスなど)と買ってきた靴下を差し入れてくれました。

姉の差し入れの一つ、圧着ソックス(大活躍)
姉の差し入れの一つ、圧着ソックス(大活躍)

この時点で私はすでに、そこそこ回復し始めており、母は早々に帰宅したのですが、義両親とはラウンジまで移動して話すことができました。

さらに、術後初めて夫に付き添ってもらい、NICUのヨーちゃんに会いに行きました。

前日、夫が撮った動画を通して、どんな姿でどんな顔なのか、認識していました。しかし、私が行ったとき、黄疸が出ていたために保育器の中でブルーライトに照らされており、様子が違いました。ライトから目を保護するために頭全体にガーゼのようなものが巻かれており、ちょっと痛々しく見えて直視できなかったのを覚えています。

長らくお世話になる新生児科の主治医の先生には、この時初めてご挨拶しました。手術室でヨーちゃんの蘇生をしてもらっているのですが、私は覚えていませんでした。慈愛に満ちた優しい笑顔の先生です。

この日はヨーちゃんを少し眺めただけで、写真も撮りませんでした。

保育器の中の小さな私の赤ちゃん、ヨーちゃん。
まだ私にとってフワフワした存在でした。

→「切迫早産体験:出産後の入院生活(2)」に続く。

切迫早産体験:救急外来、緊急入院、救急搬送……そして緊急帝王切開による出産まで(2)

切迫早産体験:救急外来、緊急入院、救急搬送……そして緊急帝王切開による出産まで(2)

切迫早産体験:救急外来、緊急入院、救急搬送……そして緊急帝王切開による出産まで(1)」の続きです。

出血に不安を感じ、夜、通院先の救急外来を受診したところ、そのまま緊急入院に。さらに翌朝には救急車で別の病院に転院搬送されることになりました。


救急車で転院先へ

ストレッチャーで病院を出たとき、仰向けだったので、空が見えました。少し暑くなり始めた頃で、お天気に恵まれたこの日は日差しがまぶしくも空が高く、その色がきれいだったのをよく覚えています。自分の置かれてる状況を一瞬忘れたあの空の色は、ヨーちゃんを産んだ日の暖かい思い出の一つです。

救急車には夫リサのほか、病院の先生が付き添ってくれました。どうやらこういった救急車による転院搬送には医師の同乗が原則必要のようです。

初めてお会いする先生で、搬送中、何度か胎児の心拍を確認してくださいました。そして、これまでのこと、これからのことを改めて整理したくお話をした時、

恐らく、今日取り出すことになると思います

と言われました。

前述のように、私は帝王切開になることを考えていませんでした。少なくとも、すぐに手術となるわけではなく、転院先で様子を見たのちに決定すると思っていたのです。

それがこの一言で、つまり、これから赤ちゃんを取り出す可能性が非常に高いことを告げられたのでした。

私はびっくりして、その時に何か言ったかは覚えていません。

ただ、はらはらと涙が止まらなくなりました。

救急車の中で泣いてしまった
救急車の中で泣いてしまった

昨晩の緊急入院からこの時まで、あまり事態を深刻に受け止めていなかったというか、よく理解していない状態でいました。それがここで初めて、自分が切迫早産という状況に身を置いていることをしっかり認識したのです。

恐らく、母である人は誰でもそうだと思うのですが、自分の体云々より、赤ちゃんが心配で頭が真っ白になり、そして感情より先に涙があふれ出てきたのでした。

仰向けのまま無言ではらはらと涙を流し続けていたら、心配した先生が

大丈夫ですよ。今は小さく生まれたお子さんもちゃんと育ちますから

と言ってくださいました。この一言にはとても勇気づけられ、私はその後あまり悲観的になることなく済んだと思います。


転院先の病院に到着。そして帝王切開の決定

救急車はサイレンをながらしながら一般の車を蹴散らし、あっという間に転院先の病院に到着しました。

ガラガラとストレッチャーごと院内に運ばれ、エレベーターに乗り、あれよあれよという間にその病院のLDR室(陣痛・分娩・回復室)のベッドに乗せられました。そして部屋には、すでに多くの医療スタッフの方たちが準備をしていました。

同乗してくれた先生が「頑張って」と声をかけて帰られた後は、これまた怒涛の展開です。

医師は3名登場。2名が産科医、1名が麻酔の先生でした。

看護師・助産師さんは人数がやたら多く、そして皆さんホスピタリティが高いのが印象的でした。全員が異口同音に「突然のことで驚いたと思いますが、大丈夫ですよ」と私の気持ちを気遣ってくれました。産科の先生の一人とは握手をしました。

採血、血圧、検温、内診やエコー。また、点滴の形が(前の病院のものと)違うという理由で、点滴のルートを再度入れなおされました。看護師・助産師さんたちにされるがままです。着替えはどうされたかよく覚えていませんが、手術着に変えてもらったように思います。

ここから手術に至るまでのプロセスの記憶があいまいなのですが、帝王切開しない可能性も多少あったようなのですが、もろもろの検査後すぐに決まったという印象でした。

帝王切開の説明書類
帝王切開の説明書類

というのも、後日、この時の入院時診療計画の書類を見たところ、張り止めをしながら安静にして様子を見るという内容になっていました。この書類は事前に作成されたもので、私の同意のサインはなく、帝王切開が決まって不要になったものと思われます。

つまり、救急車に同乗した先生が言っていた通り、「このまま取り出す」という可能性が非常に高かったのが、ほとんど時間を置かずに現実になったのでした。手術しないという可能性に多少の期待がなくもなかったのですが、この決定には「あー、やはり」という気持ちでした。

震える手で帝王切開や必要時の輸血についての同意書にサイン。

ここまででもう何度も思考が停止しており、この時も頭が真っ白。泣いたりわめいたりなどはしていませんが、ある意味混乱状態した。何かを判断する気力がなかったのですが、それは覚悟を決めた状態でもあり、まさに「まな板の上の鯉」でした。すべてをその状況に委ねたのです。


帝王切開で出産

予定帝王切開の場合、妊婦さんは自分で手術室に向かうと聞いたことがありますが、緊急帝王切開の私はストレッチャーで仰向けのまま運ばれました。

時刻はお昼前くらい。前の晩、救急外来を受診してから12時間ほどで、今自分が手術台に乗っている状況が信じられません。

手術は麻酔から始まりました。麻酔の先生がとても説明が丁寧で、かつわかりやすくお話しされる方で、私はこの先生と話しているだけで気持ちが落ち着いたのを覚えています。

最初に打つ局部麻酔はそれほど痛くなく、その後続いた腰椎麻酔は奥まで針が入ってくる感覚は気持ち悪かったものの、局部麻酔がしっかり効いていたので痛みはありませんでした。

麻酔は下半身のみです。胸や下半身などに保冷材をあて、「冷たいですか?」と聞かれることで麻酔の効いている場所を確認してくださいました。麻酔は適切な場所に問題なく効いていました。

そしていよいよ手術の開始。

前述のとおり、麻酔は下半身のみなので意識はしっかりあります。恐怖や悲しみ、驚きや混乱などにより頭の中を空っぽにしていたので、細かいことは覚えていませんが……。

帝王切開中
帝王切開中

事前の説明によると、麻酔により痛みは感じなくなるものの、引っ張られている感覚はあるとのこと。実際そのような状態でした。

手術中のことで覚えているのは、切開箇所の毛を剃られたこと、肉が焼けるにおいがしたこと、そして下腹部がぶにぶにと左右に引っ張られる感覚でした。

剃毛は当然なのですが、やはり照れ臭かったです。後から見たら切開部付近の最低限の箇所だけ剃られていました。

怖かったのは匂いと、そして手術の感覚です。できるだけ意識しないよう、頭を空にしようとしていましたが、匂いで電気メスにより自分の肉が焼かれている状況を想像してしまったし、下半身が揺れるたびに何が起きているのかを考えてしまいそうでした。

そんな時、気づいたら夫が隣にいました。大変ありがたいことに、帝王切開の立ち会いが可能な病院だったのです。しかも、通常立ち会いできない緊急帝王切開だったにも関わらず、立ち会わせてもらったのでした。(夫曰く、そもそも断れない雰囲気だったそうですが……。)

何かにすがりたい、気を紛らわせたい状況だったので、手術中にただ手を握ってもらえただけでもとても嬉しかったです。

また、術中に麻酔の先生が私の頭の方に座っていたのですが、前述の通りなにかそばにいるだけでとても落ち着く存在の先生だったので、私にとって勝手に精神的な守り神様のようになっていました。

手術開始早々にヨーちゃんを取り上げてもらいました。残念ながら私はその瞬間は認識できませんでした。小さく生まれたヨーちゃんは、私たちに聞こえないくらいの小さな声を出したらしいのですが、その後、自力の呼吸が難しいため声が出せなかったようです。(実は少し声を出した、というのは後から聞きました。)

その後NICUでお世話になる新生児科医の先生が、ヨーちゃんの蘇生処置をしてくださり、気づいたら「赤ちゃんですよ」とコッドに入ったヨーちゃんが少し遠くにいました。

私は視界の端に捉えるのが精いっぱいだったし、先ほどまでお腹にいた赤ちゃんが目の前にいるという状況が現実として受け止められなく、ぼんやりとしたシルエットしか覚えていません。

この時夫は触らせてもらったそうですが、やはり混乱していたらしく、当時のことはよく覚えていないそうです。

手術ですが、赤ちゃんを取り出しただけでなく、子宮筋腫もその場で切除してもらったことを後から知りました。(小さな石灰化した筋腫もちでした。今回の切迫早産とは関係ありません。)

その処置も含め、手術時間は1時間弱でした。

その場にいたスタッフの皆さんが口々に「おめでとうございます」と声をかけてくださいました。ただ、申し訳ないのですが、私も夫も「おめでとう」という言葉はこの時あまりしっくりきていませんでした。


手術の終了。そして入院

手術後はしばらくそのまま手術室で安静でした。

前の晩からのどの渇きに苦しんでいましたが、この時も精神的に参っていたこともあって口が水分を欲していました。

そのことをブツブツ訴えていたら、誰かに怒られたのを覚えています。手術の前後は飲食一切禁止というのを知らなかったので、つい訴えてしまったのですが……。

しばらくして、ベッドに移され、そのまま病室に運ばれました。

手術前に個室か相部屋かの希望を聞かれていたのですが、こんな事態で高額な個室を希望するわけもなく、入ったのは4人部屋です。

しかし、飛び込み妊婦だったにも関わらず、眺望が開けた窓側のベッドに入れてもらえました。入院中に看護師さんからも「ここになったのはラッキーですね」と言われたような当たり部屋(ベッド)でした。

私は8日間入院することになりました。

また、娘のヨーちゃんはNICUに運ばれました。私が改めてヨーちゃんに会ったのは、手術翌日でした。

→「切迫早産体験:出産後の入院生活(1)」に続く。

切迫早産体験:救急外来、緊急入院、救急搬送……そして緊急帝王切開による出産まで(1)

切迫早産体験:救急外来、緊急入院、救急搬送……そして緊急帝王切開による出産まで(1)

私の切迫早産による出産体験を書きたいと思います。何もかもがあっという間に起き、今でも当時のことが夢だったのじゃないかと思うくらいの出来事でした。

そして、実はいまだに「出産した」という実感が持てないでいます。帝王切開だからなのか、切迫早産で急だったからなのか、私にとって唯一のお産なのでわかりません。

なので、わが娘ヨーちゃんを見ていると、まるでお腹にいた子どもが突然目の前に現れたみたいで、時々不思議な気分になります。

突然目の前に現れた娘
突然目の前に現れた娘

出血と張り。救急外来の受診

私の妊娠生活は、概ね順調でした。つわりはつらかったものの、妊娠初期は特に懸念事項もなく過ごすことができました。

中期では、胎児スクリーニングで少し心配な事象がでてきました。しかし、気になる点がありながらもヨーちゃんはすくすくと成長を続け、検診で見ていてくれた先生も問題はないかもしれないと考え始めていました。

切迫早産の日はそんな矢先にやってきました。

夫リサと二人で外出していたその日、ごくごく少量の出血がありました。それまで出血したことがなかったので、気にはなったものの、本当にうっすらとしたものだったので様子を見ることにしました。

しかし、夜になっても出血が続きました。すでに大きく、時々苦しさを感じていたお腹も、気持ちいつもより苦しく感じました。

お風呂に入ろうと、トイレに行ったとき、やはり明らかな出血があり、急に不安になったのです。とりあえずネットで検索したところ、この時期の出血はどんな出血も問題がある可能性が高いという記載がありました。

時刻はすでに22時を過ぎたころでしたが、リサに相談したところ、念のため通院している病院(大学病院)に連絡してみようということになったのです。

代表電話に電話をして状態を伝えると、産婦人科にまわしてもらえました。当直の医師の方が直接対応してくださったのですが、そこで「今すぐ来てください」と指示を受けたのです。

症状は少量の出血と、若干のお腹の痛み。破水したとか、ひどく苦しいとかいった症状はなく、体も動いたので、すぐに病院に来いという指示に少し気が動転し、「今からですか?」と裏がった声で返してしまいました。

正直、この時点でまだ事態がどれだけ深刻なのかまったく理解していなかったと思います。財布と診察券・保険証、化粧ポーチくらいの荷物でリサと二人、タクシーで病院に向かいました。



病院では、救急の窓口でまず血圧と体温を測りました。そして産婦人科の病棟に移動しました。

この病院では外来で検診を受けていましたが、診療棟に足を踏み入れるのは初めてです。分娩室に通され、分娩台で診察を受けることになりました。診察のために分娩台に乗った、というのが妙に新鮮な気分だったのを覚えています。

分娩台で診察
分娩台で診察

夜の静かな分娩台で、エコー、内診、そしてNST(ノンストレステスト)を受けました。

週数的にNSTを受けるのは初めてだったのですが、勉強不足だったため、いったい何を見ているのか理解していませんでした。

しかし、このNSTで初めて私が分かったのが、それまで胎動だと思っていたお腹の動きが、「張り(子宮収縮)」だったということです。赤ちゃんが動いてちょっと苦しいな、と思っていた症状が、張りとして数値に出ていました。

大学病院での緊急入院

分娩室にもう二人医師の方が現れ、診察の結果、即入院を言い渡されました。

また気が動転してしまいましたが、どうにも状況を受け入れるしかありません。看護師さんに案内されるがまま車いすに乗り、MFICU(母体胎児集中治療室)に運ばれて行きました。(ちなみに大丈夫、と自分で歩こうとしたら怒られました。)

MFICUは、トイレとシャワーがついたちょっと広めの普通の個室の病室に見えました。とは言っても、ICUなので、当然ほかの病室とは設備が異なるのかと思われます。

入院をまったく想定しておらず、何の準備もしてこなかったので、パジャマはその場で病院のレンタルを利用しました。

着替えの後、採尿、採血、血圧測定、検温がありました。また、記憶があいまいなのですが、ここでNSTを受けながら、張り止めの点滴が始まったと思います。

この時点ですでに時刻は深夜1時くらい。呆然とする私と呆然とするリサ。ここまで付き添ってくれたリサは、とりあえず一度帰宅することになりました。

そして私は一晩、この病院で過ごしたわけですが、ほとんど眠れなかったのが実情です。点滴をしているし、お腹にはNSTのセンサーがついているので、ベッドの上であまり動けなかったのでした。

おまけに、もともと非常に喉が渇きやすいのに、水を飲むのはすでに禁止。この喉の渇きは手術後までかなり苦しめられたことの一つでした。(本当に水分が必要というより、精神的に参った。)

また、結局朝まで張りが収まらなかったので、NSTでまずい反応が出るたびに先生や看護師さんが駆け込んできて、不安でおちおち寝ていられませんでした。


転院確定。救急搬送される

胎児と私の頻脈(心拍数が高い)、私の発熱、血液からみる炎症反応、そして収まらない子宮収縮。明け方、先生から転院の決定と転院先の病院を告げられました。

点滴による症状の改善が見られないので、もし帝王切開することになった場合に備えての転院決定でした。

実は前の晩からこの病院のNICUが満床のため、転院の可能性がある旨は伝えられていました。ただ、私が切迫早産についてあまりにも無知だったため、これから何が起きるのかをほとんど理解していなかったので、なぜ転院なのか完全に理解していなかったのでした。

受け入れをしてくれたのは、私も名前は知っている有名病院でした。お高いイメージがあったので、一瞬費用のことが頭に浮かびましたが、四の五の言っている状況ではありません。心の中で夫リサに詫びつつ、転院に同意するしかありませんでした。

昨晩つけっぱなしだったメイクを、リサに買ってきてもらったメイク落としで慌てて落とし、バタバタと病室の荷物をまとめます。

そうこうしているうちに部屋の入口に救急隊員が到着。

そう、転院先には救急車で運ばれるのでした……。救急車で運ばれる、というシチュエーションも、想定外で、ただただ身を任せていた状況でした。

廊下でストレッチャーに仰向けになり、そのままガラガラと運ばれて救急車へ。

部屋から出るとき、心配した助産師さんが「頑張ってね、戻ってこられるといいね」と言ってくれたので、「ありがとうございます(涙)。しれっと帰ってきたいです……」と答えたのを覚えています。

この時点で、私はまだ帝王切開にならない方に賭けていました。賭けていた、というより、自分の状況をよく理解していなかったのと、そう信じたかっただけかもしれません……。

→「切迫早産体験:救急外来、緊急入院、救急搬送……そして緊急帝王切開による出産まで(2)」に続く。

女の子の母になりました

女の子の母になりました

木々の緑が鮮やかになり、日差しがまぶしい初夏のある日、母になりました。
生まれた赤ちゃんは、元気ながらも穏やかな性格の女の子です。ヨーちゃんと呼んでください。

こんにちは。ヨーです。

ヨーちゃんは切迫早産で小さく生まれたため、現在NICU(新生児集中治療室)に入院しています。まだ一緒に住むことはできないため、私は母乳を搾乳し、病院の面会に通う日々を送っています。

一般的な出産ではなかったので、ヨーちゃんのことをブログに書くべきか迷いました。

しかし、私にとって、大きな人生の変化であり、また、今起きていることや私が感じていることを記録していくことは、これからヨーちゃんと生活を送りにあたり、かけがえのない思い出になると思いました。

それに、文章にすることで、自分の置かれている状況や気持ちを客観的に見つめる機会にもなるのではと思います。

また、たくさんの小さな赤ちゃんのお父さん、お母さんがネット上で思いを綴っているのを知り、私もこの場に書くことに決めました。

ただ、何をどこまで書くかはまだ決めかねております。詳しく書いたり、あいまいに書いたりと、方針がしばらく定まらないと思いますが、ぼんやりした内容になった場合もご容赦ください。

それと、現状まとまった時間と気力・体力の確保が難しいため、短い文章で更新頻度も低いものになりそうです。

そんな状況ですが、現在の生活や気持ちだけでなく、妊娠の経緯や経過、そして出産時のことなど、過去のことも順不同で思いつくままに綴っていきたいと思います。