本帰国前に行っておこう:発掘されたイギリス軍の地下司令室「バトル・ボックス(The Battle Box)」

本帰国前に行っておこう:発掘されたイギリス軍の地下司令室「バトル・ボックス(The Battle Box)」

シンガポール在住中に行っておいてよかったと思ったり、本帰国前に駆け込みで行った場所について紹介シリーズです。最終回は「バトル・ボックス(The Battle Box)」です。

パンフレット
パンフレット

最終回が戦争関連じゃなくてもよかったのになぁと思いつつ、帰国の2日前という本当に直前に滑り込みで行ったので、順番的に最後になってしまいました。

以前から興味があったし、もっと早くに行っていてもおかしくなかったのですが、夫リサが戦争系の施設が苦手でして、行こうと言っても付き合ってくれなかったのです。それが「もう最後だから」とお願いしたらようやく最後の最後に付き合ってくれました。

気持ち的に慌ただしい訪問になりましたが、行ってよかったと思えた施設だったので、ご紹介します。

バトル・ボックスがあるフォート・カニング・パークの歴史

バトル・ボックスは、シンガポールの中心部、フォート・カニング・パーク内にある戦争記念施設です。バトル・ボックスの説明の前に、このフォート・カニング・パークについて少しご紹介します。

フォート・カニング・パークに行く途中の有名な撮影スポットの階段(写真を撮ってる人がたくさんいました)
フォート・カニング・パークに行く途中の有名な撮影スポットの階段(写真を撮ってる人がたくさんいました)

この公園は、中心部にありながら広い面積を有する貴重な緑地です。標高約60mの小高い丘で、近くを通ると、豊かな緑を見上げるような道が続きます。住人の憩いの場としてだけでなく、イベントなども盛んに行われているシンガポールの国立公園の一つです。

フォートカニング駅(目の前がフォートカニング・パーク)
フォートカニング駅(目の前がフォートカニング・パーク)

このフォート・カニング・パークの歴史をざっと振り返るとこんな感じらしいです。出典はNLBの以下のサイトです。

Fort Canning Park
http://eresources.nlb.gov.sg/infopedia/articles/SIP_8_2004-12-10.html

1822年まではブキット・ララガン(「禁じられた丘」の意)として知られ、古代の王が埋葬されたと考えられていました。そんなこの丘の上に、この地を植民地としたイギリス人トーマス・ラッフルズと姉の家族のための住居が建てられ、その家が後にGovernment Houseという名称に改名されました。

さらに政府庁舎が完成すると、この地はGovernment HillまたはSingapore Hillと呼ばれるように。一方で、一時期は時の政治家Sir Samuel George BonhamにちなんでBukit Tuan Bonham (Sir Bonham’s Hill) とか、Bukit Bendera (Flag Hill)とも呼ばれました。

そのほか、1819~1865年にヨーロッパ人が埋葬されたり、植物園があったりもしました。

それが1859年、Government Houseは取り壊され、砦が作られることに。400人もの中国人苦力(クーリー)が動員され、1861年に砦が完成。 インドの総督Viscount Charles John Canning(1856~1862)にちなんで「フォート・カニング」と呼ばれるようになりました。

さらに砲台、病院などが設置されましたが、完成時にパール・ヒルの砦の方が高さがあったために、1907年に撤去されてしまい、国防に使われることはなくなってしまいました。

その後戦争を経たのちの1972年には公園として機能しており、1981年11月1日に首相リー・クワン・ユーによって果樹植えられ、フォート・カニング・パークに改名され、現在に至ります。

……以上なんですが、戦時中の細かい歴史の説明はすっぽり抜けています。バトル・ボックスの公式サイトには以下の記述がありました。

1926 – Malaya Command headquarters
With the construction of more forts along the southern coastline of Singapore, Fort Canning becomes redundant and is demolished in 1926. The British immediately replace it with new command headquarters and barracks. The headquarters are for Malaya Command, the army coordinating the defence of British Malaya and Singapore.

他のエリアにも砦ができたことで、1926年にフォート・カニングは砦としての役割を終え、イギリス軍が司令室を置いたとのことです(後述しますが、この建物は現在ホテルになっています)。ラッフルズによるイギリスの植民地支配の始まりから、ここは政治的な利用をされてきた場所であることはわかると思います。

なお、余談ですが、このフォート・カニング・パークはシンガポールのオカルトスポットの一つと聞いたことがあります。墓地として使われていたからでしょうか……。


バトル・ボックスの歴史

さて、続いてはバトル・ボックスについての説明です。出典はまたNLBのサイトを参考にいたしました。

Fort Canning Bunker (Battlebox)
http://eresources.nlb.gov.sg/infopedia/articles/SIP_858_2004-12-15.html

「バトル・ボックス」というのは現在の通称のようで、ここはフォート・カニング地下壕、マラヤ・コマンドセンターという場所でした。マラヤというのは当時のシンガポール含めたマレー半島エリアのことで、コマンドセンターは司令室。つまり、当時のマレーシアにおけるイギリス軍の軍事作戦を指揮していた場所です。

前述のように、1926年にすでに司令部が置かれていたのですが、戦争が進んできたためにイギリス軍は地下壕の建築を決定。1936年から1941年に建設されました。地下9mに20室以上の部屋には、暗号室、信号制御室、プロット室、銃操作室、発電などがありました。

1942年2月11日、日本軍の侵攻に備えて軍本部はシメイからこの地下壕に移されます。しかし、1942年2月15日にイギリス軍は日本軍へ降伏。それを決めたのもこの場所でした。※

日本軍に降伏する前日、イギリス軍は地下壕を一部屋を除いて取り払い、残された物は焼いてしまい、1988年2月23日までこの場所は放置されました。(なお、Wiki(The Battle Box)にはイギリス軍降伏後、この地下壕を日本軍が通信などで使用したという記述があります。)

1988年に発掘され、内部が整備された後、「バトル・ボックス」という戦争記念館としてオープンしました。

※イギリス軍が降伏文書に署名したのはここではなく、ブキティマの旧フォード工場です。バトル・ボックスと旧フォード工場は歴史の流れとして繋がる場所なので、両方行くのがお勧めです。
→「「Former Ford Factory(旧フォード工場)」→「Surviving the Japanese Occupation(日本の占領を生き延びる)」に行ってきました

バトル・ボックス・ツアーに参加

ご興味はわきましたでしょうか? このバトル・ボックス、見学にはツアーへの参加が必要です。料金や開催日など、最新の情報は公式サイトを参照ください。

The Battle Box
http://www.battlebox.com.sg

アクセスも上記サイトで詳しく説明がありますが、ドビー・ゴート駅から行くのがわかりやすいです。ダウンタウン線フォート・カニング駅もありますが、公園の反対側に位置していてどう行っていいのか分からず、私たちもドビー・ゴートから行きました。

バトル・ボックスの道順
バトル・ボックスの道順

また、バトル・ボックスおよびビジターセンターは丘の上でして、たどり着く前に急な階段があり、結構息が切れます。登り切ってぜーぜー言ってたら、ベンチに座ってたお年寄りたちが褒めてくれました(笑)。どうやら近くまで道路があるので、上までタクシーでも行けるみたいです。足腰に自信がない方々はお車でどうぞ……。

ツアーへの参加申し込みはビジターセンターで行います。申し込みと支払いを済ませた後、時間になったら再度このビジターセンターに集合し、ここでの説明からツアーが開始します。参加者はイギリス人が圧倒的に多く、その他アメリカ人、ドイツ人など欧米系の方が中心。アジア人はフィリピンの夫婦がいましたが、日本人は私たちだけでした。

この記事を執筆している時点でツアーは2種類あり、バトル・ボックス見学のみのもの(18ドル)と、フォート・カニング・ヒルの案内もセットになったもの(32ドル)があるようです。私たちが参加したのは前者でして、ビジターセンター→ホテル・フォート・カニング→バトル・ボックスの3か所を回りました。

なお、私の英語ヒアリングがかなり怪しいのに加え、バトル・ボックス内は写真撮影はおろかツアーはメモを取るのも禁止です。以下の内容はネットの情報を使いつつもあいまいな点があることご容赦ください。

まず、ビジターセンターで簡単なツアーの概要を聞いた後、バトル・ボックス入口手前の斜面で再び解説が入ります。ここはちょうどホテル・フォート・カニングという5つ星ホテルが見える場所です。

元軍事施設であるホテル・フォート・カニング
元軍事施設であるホテル・フォート・カニング

クラシカルな見た目が素敵なホテルですが、ホテルとしての開業は2010年。もともとは1926年にイギリス極東軍総司令部(the Administration Building of the British Far East Command HQ)として作られた建物でした。戦中、戦後は日本軍、再びイギリス軍、シンガポール軍、そして民間企業など、歴史とともに様々な所有者を経てきたようです。(参考:Wiki「Hotel Fort Canning」)

そしていよいよ地下9mのバトル・ボックスの中に入ります。恐らく使用されていた当時は緑で覆い、わかりづらくしていたと思われます。また、入口はここだけではなく、室内には別の出口に出るはしごもありました。

緑の中にひっそりあるバトル・ボックス入口
緑の中にひっそりあるバトル・ボックス入口

中は外に比べるとややひんやりとしています。空調・照明が整っているので見学に際しての不快感はありません。しかし、使用されていた当時は現在ほどの設備があったとは思えませんし、戦況の悪化に伴い人がどんどん増え、環境が悪くなっていったそうなので、この中での生活は本当に大変だったろうと思います。

内部には、当時のさまざまな機器や家具が設置され、さらに(結構リアルな)蝋人形がその場の雰囲気を再現しています。前述の通り、日本軍への降伏の前に、イギリス軍は内部の設備を取り払ったり、焼き払ったりしています。シンガポールはこの施設の整備に相当なお金をかけたようですが、実際よくできており、臨場感がありました。(参考:Fall of Singapore retold at WWII bunker at Battlebox museum

途中、ガイドがクイズを挟みます。面白かったのは「太平洋戦争の始まりをご存知ですか?」という質問。アメリカ人のツアー参加者がすかさず「パール・ハーバー!(真珠湾攻撃)」と答えましたが、これはアメリカの立場からの回答であり、シンガポールにおいては真珠湾攻撃の2時間前、日本陸軍によるマレー半島奇襲が太平洋戦争の始まりと捉えられているそうです(Wiki:マレー作戦)。

ツアーの構成もよかったです。迷路のような内部をあちこちまわりながらも、説明はきちんと時系列、ストーリーになっていました。ざっくり書くとこんな感じです。

  1. バトル・ボックスの設備概要
  2. 戦況の悪化(日本軍の侵攻)
  3. 日本軍への降伏を検討
  4. 日本軍への降伏
  5. 日本軍の占領→ミッドウェー海戦→日本軍戦況悪化→原爆投下→日本敗戦

イギリス軍の基地なので、ほぼイギリス軍目線での話です。そして日本軍への降伏以降、バトル・ボックス自体は日本の占領下におかれたため、最後の日本の敗戦までの話は展示された写真を説明するだけの補足のような感じになりました。

この日本軍への降伏は“Worst disaster and largest capitulation in British military history(「英国軍の歴史上最悪の惨事であり、最大の降伏」by チャーチル)”と呼ばれるような出来事であり、とにかくイギリス軍がどんどん日本軍に追い詰められていく様子が伝わってきました。

これは大半のイギリス人ツアー参加者にとっても、日本人である私たちにとっても息が詰まる展開であり、一体どういうリアクションをしてよいのか悩ましかったです。

そして、ミッドウェー海戦の話はアメリカ人や(日本に占領された)フィリピンの人にとって胸のすく展開だったかもしれませんが、最後の原爆投下の写真は日本人として、大変悲しくて複雑な気持ちになりました。

しかし、恐らく、どういう立場であっても、事実を知るということの大切さを強く感じました。

バトル・ボックス内部の見学が終わった後は、再びビジターセンターに戻ってきます。そこでガイドによる最後のクイズがあり、締めの挨拶があって解散となりました。このビジターセンターには戦争関連のややマニアックなグッズが売っているので、ツアー後に関心がわいたら書籍などを見てみるのもよさそうです。

ビジターセンターで売ってるグッズ
ビジターセンターで売ってるグッズ

なお、戦中は29部屋あったそうですが、恐らくツアーで全部の部屋は見てないと思います。近年発見された部屋もあるらしく、まだまだ発掘・整備が続いているようです。

バトル・ボックス見学はこんな人にお勧め

バトル・ボックス、シンガポールの戦争記念施設として、旧フォード工場とはまた違った良さがある場所でした。前者が割と説明的な場所であったのに比べ、バトル・ボックスは体験型に近い場所だったと思います。

そういった点で、生々しくはあるものの、分かりやすい施設ではあったので、シンガポールで何かを学んでおきたい、戦争について知っておきたい、と思っている方にはお勧めです。私自身、かなり勉強不足な状態での参加でしたが、シンガポールでの戦争についてぼんやりとしか持っていなかったイメージが、かなり鮮明になったと思います。文字面では分からないような、身に迫る感じは、実際にここを訪問しないと分からないと思います。イギリス軍視点でこの戦争を見るのも新鮮でした。

また、小さなお子様には少し怖いんじゃないかと思いますが、歴史についてある程度学んだ年齢のお子様にはとても勉強になる場所ではとも思います。(なお、子ども料金が7~12歳の設定なので、7歳未満はそもそも入場できないかもしれません。)個人的には修学旅行生なんかにはぜひ寄ってほしい場所だなと思いました。

パンフレット(イギリス軍降伏の写真)
パンフレット(イギリス軍降伏の写真)

さて、シンガポール「本帰国前に行っておこう」シリーズはこの後、まとめ記事を書いておしまいにいたします。

その他のシンガポールネタは、帰国準備から帰国までについてあと何本か書きたいと思っています。もう帰国してから3か月弱になりますが(失笑)、もう少しだけお付き合いいただけたら嬉しいです。

本帰国前に行っておこう:ブキティマ自然保護区とマレー鉄道廃線跡レール・コリドー(鉄道回廊)

本帰国前に行っておこう:ブキティマ自然保護区とマレー鉄道廃線跡レール・コリドー(鉄道回廊)

だいぶご無沙汰いたしました。年明けすぎから調子を崩してました。日本の冬は2回スキップしただけなのに、ここまで自分の耐寒性が落ちるとは思いませんでした。乾燥もきつい。。。そして1月中にシンガポールネタを終わらす、という年始の唯一の目標がいきなり達成の危機です(笑)。

年始は訪日旅行中の知り合いの知り合いのシンガポール人の方と話す機会があり、久しぶりにシンガポールの話ができて楽しかったです。客家系シンガポーリアンにも拘わらず、サンダーティーライスをご存知ないという衝撃のエピソードがありました。

さて、シンガポール在住中に行っておいてよかったと思ったり、本帰国前に駆け込みで行った場所について紹介シリーズです。第五弾は、「ブキティマ自然保護区とマレー鉄道廃線跡レール・コリドー」です。


シンガポール最高峰「ブキティマ・ヒル(Bukit Timah Hill)」があるブキティマ自然保護区

シンガポールに来たばかりで部屋探しをしてた時、何かの会話の流れで夫リサが「シンガポールのマウンテン」と言ったら、不動産屋さんに「シンガポールにマウンテン(山)は無い! ヒル(丘)だよ、ヒル!」と笑われたのが印象的でした。

マレー半島の先の小さな国、シンガポール。そう、山が無いんです。一番標高が高いのが丘で、それが今回紹介するブキティマ自然保護区の中にあるブキティマ・ヒルです。標高は163.63m。数字だけ聞いてもピンときませんが、東京の高尾山が599mですから、その3分の1未満と思うと、やはり丘なのかなぁ、という高さです。

そして、ここはその名の通り自然保護エリアです。豊かな熱帯雨林、そしてそこに生きる動植物が保護されています。シンガポールが独立するずっと前、19世紀の初めにはこのエリアが森林保護地区の一つとして選ばれ、政府系植物園により管理されてきたようです。そのおかげで20世紀に入っても他の地域のような森林伐採から逃れてきたそうです。

National Park Board: Bukit Timah Nature Reserve
https://www.nparks.gov.sg/gardens-parks-and-nature/parks-and-nature-reserves/bukit-timah-nature-reserve

シンガポールの国立公園はどこも緑が豊富なので、ここだけ特別な印象は持っていなかったのですが、以前ご紹介したスンゲイブロウと同様、ASEAN遺産公園にも指定されており、他にはない保護施策がされているのかもしれません。

→スンゲイブロウについて「美しい朝焼けと自然を独占! スンゲイブロウ湿地保護区で早朝ウォーキング

シンガポールの頂上(Bukit Timah Summit)に行ってみた

正直、それほど興味はなかったのですが、地元の知人たち(シンガポーリアン)がお別れの食事会を開いてくれたとき、公園の話になったのです。知人の一人から「僕が一番好きな公園はマウントフェーバー公園。次がブキティマ自然保護区なんだ。行った?」と聞かれました。

マウントフェーバー公園はちょうど、少し前に行った後でした。
→「高所恐怖症がマウントフェーバー公園に行った話

しかしブキティマ自然保護区には行ったことがない……と、急に気になり、週末に夫リサと二人で行ってみることにしたのです。

アクセスはバスを乗り継いで行きました。下記の地図のBukit Timah Road沿いのバス停で下車し、Hindhede Roadの中を入っていくと園内に入ります。最寄駅はダウンタウン線のビューティーワールドで、駅から歩いても行けそうに見えますが、試していないのでわかりません。

赤い□のバス停で降りました
赤い□のバス停で降りました

ちなみに地図を見ていただくと分かるのですが、入り口付近にはコンドミニアムが何棟か建っていて、人も住んでいます。車がないと不便な場所ですが、緑に囲まれて暮らしたい人たちには、自然にどっぷりつかれる場所なのかもしれませんね。連日サルの訪問を受けたりするようですが……。

バス停にいたサル
バス停にいたサル

道は全部で6つ、4つのウォーキングルートと、マウンテンバイク・トレイル、カンポン・トレイルがあります。4つのウォーキングルートはレベル(難易度)で選べます。後者の2つは見ていないので……どんな道かわかりません。私が体力に自信がないので、迷わず一番楽なルート1を進むことにしました。

園内のルートを説明した看板
園内のルートを説明した看板

園内は2016年に階段、遊歩道、柵などを整備したそうで、とても快適なウォーキングを楽しめます。まず、コンドの建物を横目に道なりに進むと、ビジターセンターがあります。ここはいろいろな展示や虎のレプリカなんかが見られるそうですが、私たちは覗かずそのまま突き進みました。

ブキティマ自然保護区ビジターセンター
ブキティマ自然保護区ビジターセンター

すると、ここからが一番楽なルートとはいえ、一番大変な道が続きます。勾配がきつめの坂が延々と続くのです。お散歩気分で来ると、痛い目を見ます。道が広いので休んでいても他の人を邪魔することがなかったのが救いでした。

ゆるそうに見えてキツイ坂
ゆるそうに見えてキツイ坂

そしてようやく坂が終わったと思ったら今度は階段です。見上げてうっ。。となるような階段ですが、これを上らないルートは遠回りの上り坂を上り続けることになるので、これが最短ルートのようでした。これまたきつくて、休み休み、そしてゲフゲフ言いながら上りました……。

階段を上り終えると突如視界が開け、広場のような場所に出てきます。
着きました! シンガポール最高峰 Bukit Timah Summit。

ブキティマ自然保護区の頂上付近
ブキティマ自然保護区の頂上付近

うーん。思っていたほどの感動は無い(笑)。
マウントフェーバー公園のように見晴らしがよくないので、「丘の上」感が拭えない感じでした。いや、丘の上なんですが……。

ブキティマ・サミット(頂上)!
ブキティマ・サミット(頂上)!

そして、想像以上にハードでした。スポーツウェアに身を包んだ人ばかりだったのも納得です。道が整備されているとはいえ、歩きやすい靴や服装で来た方がいいです。飲み物やタオルも忘れずに……。

上った感想ですが、知人が「マウントフェーバー公園が一番」と言った気持ちがわかりました。このブキティマ自然保護区、延々と森の木々の中を歩くことになり、眺望を楽しむ感じではありませんでした。それは頂上も同じで、高台にも関わらず木々に囲まれているため、マウントフェーバー公園のように遠くを見渡すことはできません。

森林浴や動植物を楽しむ目的ならうってつけなものの、高い場所から眺望を楽しむ場所ではないようでした。(すみません、他のルートを見ていないので言い切る不安がありますが。)

そして私たちはハードなウォーキングを成し遂げた達成感はありましたが、楽しめたかどうかは微妙な気持ちを抱えたまま、同じ道を戻ることになりました。

マレー鉄道廃線跡に侵入する

気分的になんとなく消化不良に終わったブキティマ自然保護区。疲れてはいたものの、夫リサも私もまっすぐ帰る気にはなれません。

そんな私たちが帰り道に目にしたのが、マレー鉄道廃線跡でした。

マレー鉄道は、マレーシアの鉄道です。ただ、シンガポールはもともとマレーシアから独立したという経緯があり、そのマレー鉄道の線路と駅がシンガポール国内にもあったのです。それがもろもろの権利問題などがあったらしく、大半の線路と駅が廃止になったのが2011年でした。

2011年……それほど昔じゃないんですよね……。でも私たちがシンガポールに来た2015年には国内ですでに、「懐かしの旧マレー鉄道」という存在になっていたのです。

現在線路は外され、当然電車も走っていないのですが、線路、駅舎、鉄橋などがところどころ残されており、さらに、廃線跡の一部がレール・コリドーという遊歩道として整備されています。

正式にどこからどこまでが出入りできる場所なのか、オフィシャルな情報は見つけられなかったのですが、近くまで行けば入れるか、歩けるかがわかると思います。私たちも、たまたまなんですが、ブキティマ自然保護区の入り口付近にこの鉄道跡に入れる場所を見つけ、半ばよじ登るような急な場所を上って入りました。

上ってすぐは鉄橋と線路跡がこんな風に残されていました。

一部だけ残された線路跡
一部だけ残された線路跡

線路跡を歩くなんて……スタンド・バイ・ミーですね。雰囲気はありますが、実際は歩きづらいので、一部楽しむ程度に残してもらうので十分でした(笑)。

私たちはこのまま北上していったのですが、道はこんな感じ。

マレー鉄道線路跡の遊歩道
マレー鉄道線路跡の遊歩道

道の左側は大通りで、車がガンガン走り、コンドミニアムがにょきにょきと建っているような場所なんですが、しっかり緑で覆われているため、まるで騒がしい場所にいることを感じさせません。ピースフル、という形容がぴったりくるような静かな道でした。

土曜日の午前にも関わらず人も少なく、道中はほぼ二人きりだったので、鼻歌歌ったり小躍りしながら歩きました。この日は曇り空でそれほど暑くもなく、平坦で楽だし、大変気持ちの良い緑の中の散歩になりました。

The Rail Mallでプラタを食べ、Hill View付近で道が途絶える

ブキティマ自然保護地区から北上すると、途中で鉄橋にさしかかり、そしてその右手にThe Rail Mallというモールが見えてきます。歩いてきた道からそのRail Mallまでは緩やかな坂が整備されていて、モールに立ち寄ることができるようになっていました。ちょうどお腹がすき始めたときだったので、吸い込まれるようにモールに向かっていきました。

The Rail Mallという小規模モール
The Rail Mallという小規模モール

このRail Mallは高層ビルが多いシンガポールでは珍しい平屋建てのようなこじんまりとしたモールで、店舗数も少ないです。食べたいものあるか不安だったのですが、リサがすぐにあるお店の前でフリーズしてました。なんと、プラタ専門店が……。

夫リサの好物プラタ屋さん
夫リサの好物プラタ屋さん

プラタ大好きな夫が他を選択するわけもなく、このお店に入りました。Springleaf Prata Placeというチェーン店で、入るのは初めて。プラタはもちもちで、期待を超える美味しさでした。思わずドーサも追加で注文したのですが、これまたパリパリで美味。「本帰国直前にこんな美味しいプラタ屋を見つけるとは……」とリサ、大変悔しがっておりました。それくらい美味しかったです。もっと早くに見つけられたらよかったのにね……。

美味しかった!
美味しかった!

プラタに後ろ髪をひかれながらRail Mallを後にし、元の道に戻ってもう少し歩きました。ちなみに、このRail Mallの前にある鉄橋がちょっとした観光スポットなのですが、実際に鉄橋を歩いて渡るのは非常に怖かったです。。高所恐怖症の方はご注意ください。

恐怖の鉄橋
恐怖の鉄橋

この先の道は、実はそれほど長くなかったです。というのも、この先にある鉄橋が完全に撤去されていて、そこで道が途絶えているのです。予備知識なしで歩いてきた私たちは、そんなことは知らないので、ただ前進のみ。

相変わらず人気がなく、すれ違う人もまばらでした。それた突然、本当に突然、左の草の茂みから、大量の白人のおばちゃん集団がゾロゾロと出てきたのです。かなり面をくらって二人で思わず噴き出しそうになった光景でした。このおばちゃんたち、一体どこから入ってきたの? と。

とりあえず「ハロー、ハロー」なんて親しげに挨拶を交わし、私たちと逆に南下していくおばちゃんたちの後姿を見送りました。

そして二人でおばちゃんたちが出てきた茂みを覗きに行ったところ、そこには細い下り坂が。そしてその先は道路に続いており、Hill View付近であることに気づきました。二人ともなんとなく、もういいか、という気分になっていたので、この坂を下りて私たちの散歩は終了。そして道に降りてから気づいたのですが、道の先は撤去された鉄橋があり、いずれにしてもそこから先には行けなかったようなのです。

推定2km超の緑の散歩を楽しみました。

雨が降らない涼しい日にお勧め

ブキティマ自然保護区とマレー鉄道廃線跡地。アッパー(北部)ブキティマ付近らしさを味わえる散歩になったかなと思います。どちらも、観光で行くにはエンターテイメント性に欠けるので、在住者のおでかけにお勧めかと思いました。シンガポールの最高峰に上った! というのもささやかな記念になるかと思います(笑)。

なお、マレー鉄道廃線跡の道は、舗装されていないし屋根もありません。雨の日は雨を避けるものがないうえに道がぬかるむらしく、大変悲惨だそうです。後日同じ道を走ったという知り合いとその話になり、その知人は途中で雨が降り出し、全身どろどろになったとか……。そして日差しも避けられないので、暑い時間や雨が心配な時は避けた方がよさそうです。

本帰国前に行っておこうシリーズ、次回は最終回です。

新年あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます

2018年、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

謹賀新年
謹賀新年

3年ぶりにイラスト入りの年賀状を作りました。今年は戌の七福神を乗せた宝船のイラストです。元旦の夜は宝船の絵を枕の下に入れて寝ると、いい初夢が見られるそうで……。知ってて私の年賀状を枕の下に入れて寝てくれる人はいるでしょうか(笑)。

シンガポールの英語クラスのメンバーにもWhatsappで新年の挨拶とともにこのイラストを送り、日本の七福神を簡単に説明しました。私も調べるまで知らなかったのですが、七福神は中国の神様が3名、インドの神様が3名で、日本由来の神様は1名だけなんですね。イラストを見た中華系シンガポーリアンである先生から、寿老人(一番後ろの髭の神様)を知ってる! とのご指摘がありました。

さて、元旦の今日は、静かに家で過ごしました。映画を見に行こうとは言っていたのですが、見たいタイトルがなかったのに加え、夫リサの体調がいま一つなのでどこにも行かないことになりました。

今年はお節も作らず、朝、簡単なお雑煮をいただいただけ。本当にまったり、のんびりとした気分で一年の最初の一日を過ごしています。

お雑煮
お雑煮

私は毎年、元旦に一年の目標を立てるのが好きでした。年が明けると気持ちが新たになり、去年までの雑多なことの精神的な断捨離がしやすくなるからです。去年できなかったことはもう仕方ない、今年は今年の目標を立てて改めて頑張ろう、そんな気持ちになります。

しかし、今年はあえて明確な一年の目標を立てるのはやめました。というのも、どうやら私は長期目標というのが苦手みたいです。気合を入れて目標を立てても、3月くらいに気持ちがついてこなくなっていたり、何か別の新しいことに関心が向いていたりするのです。結果、春ごろには「一年の計」が既にうやむやになっています。

仕事でもプライベートでも、5年、10年の目標を立ててみようなんて言いますし、1年がひどく長いと思っているわけでもありません。ただ、もともと短気で飽きやすい性格のせいなのか、これまで「一年使える目標」というのを年始に立てられた記憶がないのです。

また、仮に目標を立てても、人生で外的要因によるやむをえない方向転換は常にあるわけで、そういう時に年始の目標を曲げるがストレスでした。シンガポール移住なんてまさにそれなんですが、恐らく柔軟性がないんですよね。

では、そんな私の人生はまったくダメなのか(笑)と聞かれれば、長期目標がなんであろうが一生懸命取り組んだことはうまくいったし、そうじゃないものは自然と淘汰されていったと思います。

そのような体験を重ねていくうちに、今は年始に一年の目標を立てるより、常に目の前のことに一生懸命取り組むことに挑戦したいと思うようになりました。目標はあるにはありますが、それも1年の単位ではなく、その目標を持った時に適切なスパンの計画を立ててみればいいのではと思っています。

そんなわけで、今年はの元旦はとてもおだやかな一日を過ごし、気持ちもマイルドにスタートさせました。周囲で起こる変化にはしっか取り組みつつ、自分の生き方についてはマイペースな一年にしたいと思っています。

新しい年が皆様にとって幸多き年でありますように。

※あ、ちなみ1月はすでに明確な目標が一つあります。「シンガポールネタ」は1月中には終わらせたいと思っています。あと少しお付き合いいただけましたら幸いです!